ある依存症者の終わらせたい日記

人生の大事なことは覚せい剤が全部教えてくれた。HIV×ゲイ×依存症×前科⇒精神保健福祉士のライセンス失効⇒最近復権。君子豹変して絶対に幸せになる。

奇跡の日

彼女が子供を連れて出ていった日のことはよく覚えている。あの日はちょうど年末の仕事納めで、新しく買ったマンションに両親と弟家族を招待していた。
その頃には、もうけっこう確実に夫婦関係は破綻していて、もしかしたらという疑いもあったけど、まさかなあという期待をもって帰宅したマンションの部屋にはやっぱり誰もいなかった。ちょっと買い物に出ていった感じでないのは何故だかわかるもんだ。帰るつもりはないという意思だけは部屋にしっかり残っていたからだろう。
行先が羽田空港ということ以外は何のヒントもない。第一ターミナルなのか第二ターミナルなのかもわからない。年末の混雑した空港で二人を見つけるなんて奇跡だとわかっていたが、足は向かっていた。引き止められないこともわかっていたが、もう一度会いたかった。
ドラマみたいなことってあるもんだ。直観で向かった第二ターミナルで所在なさげにベビーカーを押す彼女を見つけた。彼女はボクをみて、ちょっと感心したように驚いて、そして笑った。「ちょうどトイレに行きたかったの。この子みてて」と息子を手渡してくれた。ボクは奇跡を胸に抱いた。とても小さくて柔らかくて可愛いい抱き心地の奇跡だった。
彼女がトイレに行っている間に連れ去ろうかと本気で迷った。衝動に身をゆだねるべきときが人生には何度かあってそれが今だとわかっていた。なのにできなかった。置き去りの父親よりも子供から引き離された母親の方が絶対に辛いだろうと思ってしまったからだ。ごちゃごちゃ考えず連れて帰ればよかったんだと後悔している。自分と一緒にいた方が彼は幸せになれるとどうして思えなかったんだろう。どちらにしろ考えてしまっている時点でもう負けだ。‪本当に大事にしたいものを前にして自分が全く頼りにならない。あれはなんの罰だったんだろう。
トイレから戻ってきた彼女に彼を抱き渡した瞬間、ボクの奇跡は終わった。
ことの顛末を孫に会うのを楽しみにやってきた両親と弟家族へどんな風に話したのかは思い出せない。ただ弟の嫁が「お兄さんぜったいに許したらいけませんよ」ってなんだか悲しそうに怒っていたのだけ覚えている。

 

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収監ダイアリー

今年の1月1日からTwitterをはじめた。
東京拘置所、八王子医療刑務所、府中刑務所の三か所の収監先で書いていた日記を少しずつTwitterに転記しようと思ったんだ。
その五冊の収監ダイアリー。一度、高校時代からの友人にさらっと見せたことがあるんだが、ヤツはページをぱらぱらとめくって「なんかコワい。まがまがしい。お前と昔行ったスイスの美術館に似たようなのあったよな。あれみたい」と一切読まずにつき返した。そのスイスの美術館はきっとローザンヌのアールブリュットコレクションのことだと思う。(たしかに監獄や精神病院なんかで書かれたパッション系の作品がやたら存在感を発揮してたような記憶がある)。
自分ではわからないがヤバ目の言霊が宿っていたんだろう。
痛いだけの思い出ならわざわざ振り返る必要はないと思う。だけどもう出所して三年も経とうとしているしそろそろ笑い話にできるんじゃないかと、クローゼットの奥から引っ張り出したボロボロの懐かしい赤いノートたち。
2016年9月から2018年7月までの約二年間の言葉を約四か月で解放した。あんまり楽しくない思い出ばかりだったから、読み返したりしたらメンタルやられるかなあと思ったけどそんなことはなかった。かさぶたの下にはもうしっかりと強い皮膚ができていたんだ。この四ヶ月間、ノート片手に暇さえあればツイートしていた。転記し終えた瞬間、かるく眩暈をおぼえた。気持ちいい眩暈だった。二度出所した感じとでもいえばいいのだろうか。自分の意思が力を持たない不自由だけだった思い出をやっと自分のものにして、自分の意思で解放できた。やらされたもの。与えられたもの。偶然手にしたもの。そういった何もかもがいつか自分で選んだものに変わる日が来るはずだと思っていたけれど、もしかしてそれが今なのかもしれない。自分の依存症だったり、HIVだったり、前科の問題やセクシャリティにさえも、悪い意味でなくどうでもいいと感じてるようになった。これだけ自分が自分のことを考えてあげてるんだから誰かに知ってもらわなくたって別にいいじゃないか。憑物が落ちるってこういうことなんだろうなあ。人生における折り合いのつけかたが何となくわかった気がする。こうやって生きていけばいいんだと。‪過去と未来がようやく自分の目の前で手をつないで道が開けたようだ。新しい光。さて明日からボクはどんなことをつぶやくんだろう。

 

 

 

 

 

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アール・ブリュット系ダイアリー。

OJT(オンザジャンキートレーニング)

誰しもその道で一人前になるには努力が必要だ。
知識を学び、技術を習得し、価値を手に入れてこそいっぱしと呼ばれるようになる。
覚せい剤も例外ではない。ボクがそれなりに覚せい剤を使いこなせるようになれたのも、巧く手ほどいてくれたスーパーバイザーの存在があったおかげだ。

覚せい剤とは何なのか。
どのくらいの量が妥当か。
追加にはどのくらい時間をあければいいのか。
一日の限界は。
相場価格。
注射器、ストローの使い方、保管について。
効果的なデトックスとは。
禁忌。
サイバー警察がはってそうなサイト、それに隠語。
キメてるやつの見つけ方に見分け方、要注意人物のトリアージ方法。
職質されないために。
捕まった時の対処法。
まだまだ、まだまだある…いつかまとめてみようと思う。

ボクのスーパーバイザーだった彼は、やめる方法とネタ元について以外はなんでも教えてくれた。そのどちらともその時の自分は興味がなかったのでとくに不都合はなかった。ネタ元について口をとざしていたのは彼がリスクをきちんとわかっていたからだろう。

ジャンキーが注射を打てないようじゃ話にならない。血の滲むというか、血を垂らす訓練だった。
病院でソーシャルワーカーとして働いていたときには、看護師が血圧を測ったり、技師が検査装置を使いこなしたり、介護職がトランスファをスムーズにやっている姿をうらやましく見ていた。ソーシャルワークってそういう目に見える技術がないので、純粋にあこがれみたいなものがあったんだと思う。だから注射がサクサク打てるようになったときには本当に嬉しかったなあ。ベテラン看護師だって自分の腕には注射打てないでしょう。
「君、針中(ハリチュウ)だね」ともよくいわれた。(針中とは注射を打ち込むときに一番ドーパミンががんばっちゃう性癖の持ち主のことをいう)。ジェットコースターがゆっくりと一番高いところまで登っていき、急降下する直前、がたんと音がして止まる。その刹那の瞬間がたまらない。そんな感じだ。
針がおりる瞬間の胸の鼓動焼き付けろ♪
ヤワなハートがしびれるここちよい針のシゲキ♪
ヒットソングの歌詞にもなってるくらいだから珍しくない体質なんだと思う。
まあとにかく、注射に関しては、我ながらのみこみの早い生徒だったと自負している。学ぶって楽しい。

そのバイザーは「あの有名人ともやったことがある。あいつは歌手のくせにあぶりでやってたやがってんだ。“のどに悪い。注射にしろ”とマネージャーと一緒に叱ってやった」なんて思い出を語ったりしていた。真顔で話すんで笑えなかった。人間的には悪い人ではなかったんだと思う。
どこかの予備校(覚せい剤ではなく大学受験用の学校)で教えてるっていたいたが真偽の程は分からない。「生徒に手だしたりしないの?」って冗談できくボクに彼は「クスリをやったことのないやつとは絶対に使っちゃダメなんだ。一度やったら必ずもう一回ってなるだろう。それはもうわかりきっている。確実なんだ。二度やったらもうそれは依存で中毒なんだから。一度目を使う人間がいなくなればいつかは薬中もいなくなる。覚せい剤自体がなくなる世界になるはずだ」と壮大な夢を語った。ヘビーユーザーだったくせして心の中にはアンチ違法ドラッグの魂をもっていたようだ。その熱意に啓蒙された部分は今もボクの中に残っている。
ルートを独自に見つけてしまってからはだんだんと疎遠になるってのもよくある話だ。自立である。今は連絡先もわからない。顔もよく思い出せない。
指先とかいつも震えていたし、血管もよろよろだったし、ちゃんと生きているかな。あんな風になっちゃうと、一回捕った方がいいのかも。収監生活で一度身体を健康体に戻した方がいいんじゃないか。なんて大きなお世話を巡らしながら…今どうしているんだろうとたまに思ったりもする。
もう会うことはないだろうけど元気でいて欲しいなあと心から願う。ボクは元気だよ。
Have a nice flight ///

 

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覚せい剤を使う前にはいつもトイレに行きたくなる。この現象を「わくわくうんち」というと教えてくれたのも彼だった。

アイスピックと丸氷

とある福祉系の仕事をしている女性が言っていた。
「別に悪口を言うつもりはないんだけど、福祉職の男性たちがぱっとしないのはなぜなんでしょう。同年代で“この人いいなあ”と思う人にほとんど会ったことがないように思います」だって。これ悪口じゃないっていってるけどほとんど悪口だよね…。

彼女は年末までに彼氏を見つけると宣言して、きっちり三か月で他業種の彼氏をつくった。イノベーションってやつ?有言実行系の彼女にとって福祉職男子は頼りなさげに見えてしまうのも仕方ない気もする。
福祉系男子っていい人多いんだけどなあ。
ただ「いい人たらんとしていい人なのではなく、いい人であるしかすべがなくいい人である」ってなニュアンスが強いのもまた事実。そういうところ女子は鋭く見抜くしね。
その「いい人」にしかなれない系男子を愛してくれるのはもうその母親だけであり、母&息子カップルがどんどん増えていくかたわら、若い女子があぶれていつの間にか若くない女子になっていくという…。子供を育てるくらいの覚悟がないと福祉系男子とは付き合えないのかもしれない。いい人をやめたい男子にはまず実家を出よと言いたい。

とにかく医療福祉現場は圧倒的に女性が多い職場であり、にもかかわらず気の弱い女性には一人も出会ったことがないってのが実感としてある。職位と経験が増すにつれて彼女たちの中の鋭い部分はどんどん磨かれていくんだろう。対して男性は丸い人柄が多いように感じる。バーテンがアイスピックをつかってまん丸い氷を作り上げてく姿は医療福祉業界を思わせる。
うーん…悪口をいうつもりはないんだけど…ドツボにはまりそうだしうまい落としどころもないんで…ここらでカットアウト!

 

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おいでよ医療福祉のお仕事!

remote SMARPP(リモートスマープ)

ソーシャルディスタンス。誰かとの距離を常に2メートル以上保つことが今の日本における社会人としてのマナーになっている。
依存症の自助グループもZOOMを使ったオンラインミーティングが活発化している。
ボク自身はまだ活用したことがない。ひとり暮らしだし、誰かに気兼ねすることもないんだがどうも気がすすまない。家にリハビリを持ち込みたくない。画面越しに自分のプライバシーをあらわにしたくない。この部屋でクスリ使ってたんだとか誰かに思われるなんて嫌だ。そんな色々が二の足を踏ませる。もしかして食わず嫌いなのかもしれないけど。

病院の離脱プログラムは参加者とスタッフで二十人近くになる。一部屋で行うとなれば机をとっぱらっても濃厚接触は避けられない。今日とうとうオンラインが導入された。二つの会場に分かれてスクリーン越しにやりとりをするといった具合だ。みんなは「リモートスマープ」と呼んでいた。
やってみて…やっぱり何だかちょっとどうも…苦手だ。
レスポンスのズレ。温度を感じれない表情。
空気の揺れない笑い。そのくせ沈黙は目に見えるみたいに重い。ハートを強く(麻痺)させなきゃいけない。

「今どこ読んでるん?」とかいった隣の人とのひそひそ話だとか、ちょっとあのスタッフさん今日かったるそうにしてるなあとか、そういうとこも全部含めてのグループワークなんだと思う。日頃、間だとか空気感だとかを無意識にすごく意識して生きていたことがわかった。

全く違うものなんだと思う。通信速度が快適化されてどんなにスムーズになってたとしても、解析画像が改善されいくら鮮明になったとしても、オンラインでの会場同士やり取りが、これまで一か所に集まってなされていたものと物理的に全く違わなくなったとしても、やっぱり違うんだと思う。エアーのコミュニケーションとリアルなやりとりは同じにはならない。コンドームを使ったセックスと生交尾くらいの差があるんじゃないか。(どちらもメリットデメリットがある)。
電子書籍が紙の本とは別物として世の中に浸透していったように、オンラインの世界も手触りのある現実世界とは別物としての進化していくんだろう。どちらかがどちらかの代わりになることはできない独自のツールとして発展していくしかないんじゃないか。

制限されることで新しいやり方が生まれる。
コロナ終焉後の世界はこれまでときっと違ったものになっているはずだ。
そこに適応できるか、はたまた淘汰されるか。ボクは何を選び、そして何を選ばないんだろう。

 

 

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婚活のお見合いもオンラインが主流になってるんだって。

課題図書「手紙」

東野圭吾の「手紙」。
殺人を犯した兄をもつ弟の苦悩。ざっくりいうとそういう物語なんだが、この本、新宿留置にも原宿留置にも東京拘置所にも、府中刑務所にも官本(貸出図書)で必ずあった。収容者のための指定図書にするつもりなのかというくらいにちょくちょく出会う。ボク自身、弁護士の先生から、両親から、職場の部下から差し入れられて三冊持っている。とりあえず送られるたびに読んだけど...

自分のすねの傷をさらしていこうという決心をくじかれそうになる内容だ。
前科者(加害者)家族をとりまく現実(社会の仕打ち)を考えるとカミングアウトして生きていくということは短絡的で身勝手な態度なのかもしれないなあと思わされる。自分の罪と家族とを別問題としてはみなしてくれないのが世間であり、その世間というのは理不尽で冷たく、そして絶対的に正しい。ネットなんかも怖い。道端の石ころを蹴飛ばすくらいの出来心で個人情報を書き込まれてしまえば、いやおうなしに前科者として全世界デビューさせられてしまう。そして決してそれは消えない。自分だけだったら面の皮の厚さで受け流せる自信はあるが、家族もとなると…。やっぱり隠して隠して隠し通そうとする努力が求められるのだろうか。
だけど仕事は同じ業界になるわけだし、情報ゼロ人間としてリスタートは無理だしなあ。就活の面接もあるし…さてどうしたもんか。

 

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ネットフリックスにあったぜ

サラシテタヨレ~ある日の分類面接より~

「どうやったらこれからの人生、覚せい剤をやめれると思うか聞かせてください」
「嘘をつかずに生きていくことが大事だと思ってます」
「これまでよく嘘をついてきた?」
「大きな嘘とか誰かを騙したりだとか積極的な嘘はなかったかけど、小さな約束とか、例えば時間を守るとか、セクシャリティなんかの大事なことを黙っておくとかそういう消極的嘘ってのはいつもでした。というかそれを手段にこれまで生きてきましたから。そういう小さくてもささいなことをひとつひとつきちんと守ることができれば大きく道を踏み外さなくなるんじゃないかと…」
「…続けて」
「それと正直さですかね。自分について隠さず晒せるところは晒していくことも大切なんだと気づきました。HIVもLGBTも自分がそうだということを伝えると、その相手を驚かして期待を裏切ることだと思っていたのでどこまでも隠しきることが当たり前だと思っていました。それがかえって自分を袋小路に追い詰めてしまってたってことはこんな風になってしまってやっと気づいたというか…結局、隠しきれず周りに迷惑をかけることになったし…。クスリについてもそう、どうしても使いたくなったときにその衝動とか辛さを外にださなければ誰も手助けしてくれるはずもないんですよね。打ち明けてこそ「じゃーどう対処しようか」という相談に展開しているわけで、一人じゃ太刀打ちできないことは学んだんでちゃんとSOSを出せるようになりたいです」
「できそうですか」
「正直なところわかりません。これまでやってみようと思ったことすらなかったですし…。ただ長く嘘をつき続けていると、いつそれがバレてしまうか、バレてしまったらどうしようとどんどん怖くなってしまいます。黙っていても誰かに知られなくても嘘はいつまでも消えるなんてことはありませんし。逆にどんどん自分を傷つけるようになってきます。命懸けで隠し通してきたけど、騙し通せる真実なんてそうそうないんでしょうね」
「体質的に嘘に向いてないってのもありそうですね」
「(笑)それは今回気づきました。これまでは自分は嘘の才能があるって思ってましたから」
「いろいろとよく考えられてると思います」
「まあ時間だけはたっぷりありましたから」
「素直で正直に生きる@@さんを期待しています」
「ありがとうございました」

こんなもんでどうかな。

 

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明治神宮にて。日没間際、物の怪につかれないよう駆け足で退散。

 

オレたちはやればできる子なんだ

口内炎ができている。
欲求のサイン。余震みたいなもんだ。
ヤバイなあと思った。
覚せい剤を使うのも好きだけど、覚せい剤について話すのも好きなたちだから自助グループなんかで語ることで欲求をガス抜きしていた。その会場が軒並み閉鎖となってしまっている。ここぞとばかり渇望が出て来るってのは想像にやすい。
使いたい気持ちがなかっただけで、使いたくないってわけじゃないからなあ。

立ち向かっていいタイプの渇望とそうじゃないタイプの渇望とがある。点で来るやつと面で来るやつの違いっていうか...
前者の渇望はマスターベーションでもすればひとまず落ち着く。
後者の渇望は何回ぬいたってどうにもならない。
大人しく眠っている渇望を探し出すような呪いの渇望。
ちょっともうこれはアディクトにしかわからないような凄まじさ。
とことんきついだけの辛さ。
やめようと思ったことを後悔してしまうようなどうしようもなさ。
出会ったならもう一目散に逃げなきゃいけない。

一人の独立した人格に近い渇望。マイナンバーあげてもいいくらいだ。

回復への感受性は敏感でいたいと思っているけど、たまに逃げ遅れてしまう時がある。

自我で渇望を見てはいけない。
メデューサを見るように固まって動けなくなってしまう。
相手の土俵で勝負してはいけない。
「使いたい渇望」に「使わないという意思」では勝ち目がない。引っ張られてしまう。確実に負ける。
渇望を見るときは地に足をつけたリアリティのある自分であれ。
睡眠も食事もきっちりとって部屋も身嗜みもこ綺麗にし友達づきあいも大事にしている自分で立ち向かわなければ足元から崩れてしまう。

結果オーライ的なハイヤーパワーじゃなくて、もっと能動的に片腕的な存在としてのハイヤーパワーを使いこなす。ダークサイドパワーに対峙する。ダークサイドを見極める。覚せい剤の輝きのもっと奥にあるものを目を眩まさず見つめる。
逃げずに受け止める。そうすべきときがある。
逃げるばっかじゃつらい。ときどき小さく勝ちたい。


一回の渇望を乗り越えるためにこの数ヶ月の生活はあったことを実感する。
割に合ってるのかわからない。
仲間に救われたといっても結局のところ自分なんだと思う。
だれかと共に過ごした体験を武器にひとりで乗り越える。
自分で自分を乗り越える。
なんとかする。そういうもんなんだろう。

元々そんなに根気のある人間じゃない。NAもスマープも離脱教育もクスリをやめるためだけに通うよりももう一つ何か理由があるから続くのかもしれない。
やめたいと思ってる人に言葉を届けたい。これがボクの夢だ。
依存症はちゃんと終われる。終わってるけど終わってることを伝えたくて残ってる人もいる。
第二章のアディクトたち。そうなりたいと思う。

届ける言葉は強いものでありたい。
力を持った言葉を手に入れたい。
やめていた方が強い言葉になる(とボクは思っている)。
嘘やごまかしの言葉は他人に通用しても自分には届かない。
今はやめといた方がいいぞと声が聞こえる。
誰かを支えるアディクトになりたいんだったらまず自分の渇望くらい直視できなくてどうするんだ。

ボクの前には依存症という扉が開いてしまった。
クスリを使った者の前にかならずこの扉が出てくる訳じゃない。けどあらわれてしまったんだから仕方ない。
その閉じることのない扉をくぐって先に伸びていく道を前に進んで行くしかないんだ。
前に前に前に進むだけだ。

 

 

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香りのご褒美

 

河合香織の「セックスボランティア」を読んでみて

福祉の仕事をしてもう二十年。長くも短くもない年数であるが、まだまだ知らない分野があったのかという思いと同時に、いくらやりつくしても結局自分の世界なんてたかが知れているという事実をさとされた気分になった。

支援とは、ボランティアとは、性とは、そして生とは…とはとはパニックだ。
「食欲」「睡眠欲」「性欲」人間の三大欲求を満足させるために福祉の現場は何ができるのか。何をしてきたのか。そして何をしてこなかったのか。
きっとこの本は問題提起なんだろう。
その問いに対して「色々あっていい」という答えは逃げだ。
どうにかこうにか、はしくれなりに福祉の仕事をしていたものとしては浅いレベルであっても自分の考えみたいなものはもっていたいと思っている。
現時点で、セックスボランティア(性的支援)がありかなしかであれば、ボクの意見は「NO」である。ナンセンスとは言わないもののトゥーマッチすぎる。(放蕩淫蕩系のくせして意外とコンサバなんです)。
理由は…自分がやりたくないし、やられたくないし、できないから。

「セックスチャンスの確保は合理的配慮に含まれる」
「はい。そうでしょう」

「自分ができないから認めることができないというのは、理由になっていないし、傲慢である」
「ごもっともです」

「NOという答えで道を閉ざすのは簡単なことである。選択肢を増やして方策を考えるべきではないか」
「反論ありません」

頭では「ありかも」って思えても、なんでだろう、どうしてだろう、うまく受け入れることができない。

これって福祉の仕事としてやることなのか?
福祉でやるべきことでないことも、福祉でしかやらないので仕方なしに福祉が担っている。そういうことが多すぎる。そんな風に思ってしまう。

例えば、立ったり、座ったり、食べたりなどのひとりでやるべき動作へのケア(介助)は専門的介入であってもいいだろう。だけど二人以上での行為については、専門家は直接的サポートを手放すべきなんじゃないか。性的支援も(そういうものがあるとしたのならば)、マスターベーションの介助、風俗店への同行は納得できるが、セックスの相手になるってのは違うんじゃないかと…。じゃあこれまで自分が行ってきた余暇支援っていうのはなんだったんだ。うそごとだったのか。疑似体験に生じる感情は本物でもいいがあくまで疑似だと割り切る技術を持つことが専門性なのか?そこをゴールにすることは妥協なのか?

すこしぐちゃぐちゃしてきた。
混沌の渦を上から見るのは実践者の役割ではない。渦の中で翻弄されながら答えを(それはどんな浅いものであっても)見つけようとするのが実践者の責務なのであればこのぐちゃぐちゃを内包しておくことが大事なんだろう。

いろいろぐちゃぐちゃしながら「障害者の性の問題を考えるにはまず就労問題を考えるべきだ」というフレーズはすとんとおちた。収入が確保されていればこのいびつな境遇はもっとシンプルになる。そういうことなんだろう。
だが実際はそうではない。じゃーどうする。
支援計画書のニーズの欄に「充実した性生活」って書いてもらおうかな。支援内容、支援期間、サービス提供機関ってどうなるんだろう。もしその計画書を提出したら役所はどう判断するんだろう。なんか面白いことになりそうだな。
いつの間にか性的支援が「NO」ではなくなっている。まあいいか。

 

 

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書籍の画像を探そうと「セックスボランティア」で検索してみたら結構エグかった。

傷つけた人たちへ

ブログにしかり、ツイッターにしかり、まあ9モンもいれておこう、そういうネットの世界に顔を晒していると思ってもないような再会がある。
ボクの場合、依存症やらHIVやら前科やらもぶっちゃけてるんだが、海は広い、そんなに気にすることもなかった。きっとリスクマネジメントの才能が欠落してるんだろう。

ある日ダイレクトメールが届いた。
「自分はあなたとやったことがあります。ブログ読みました。HIVだったんですね。それなのにどうしてやってるときにコンドーム外したりしたんですか。すごく怖いんですけど。ひどいじゃないですか」って。そんな内容だったと思う。
色々確認するとたしかに心当たりのある子だった。
汗が出た。やった時期を確認し、自分の感染時期、投薬状況、ウイルス値、U=Uの説明までデータを添付したりして、HIVに感染することはまずないということをどうにかこうにか伝えた。(メールでの説明ってホント難しい)。
理解はしてもらえたとは思うが、傷つけたことは事実である。謝る前に彼のアカウントは消えてしまった。
本当に申し訳ないことをしてしまった。ごめんなさい。(他のSTIも大丈夫だから安心してください)。
どこかで読んでいてくれたらいんだけど。

気づかないまま傷つけてしまった相手がまだまだたくさんいるんだろう。それを全部受け止める力は今のボクにはまだない。だけど無責任ではいたくない。

...アイコンを横顔に変えてみた。正面きってはまだ無理そうだからこの辺りが妥当だろう。どんな過去とも胸を張って笑って遭遇できる日を目指して、行くしかないもんな。さあ!

 

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「天気が良いので、気晴らしに行って来ます」って親からのメッセージ。直方の河川敷のチューリップだそうで...

このご時世、リスクマネジメントのできなさは遺伝だったようだ。

 

酒と覚せい剤とワタシ

アルコールが覚せい剤の再使用のハードルを下げるという事実は、依存症治療の現場では常識である。自助グループでも、アルコール自体が薬物というコンセンサスがあり、飲酒をスリップととらえる人もいる。
ボクはというと…けっこう飲む。普通に飲む。誘われたら行くという機会飲酒程度だが、やめようと思ったことはない。きっと依存症からの回復を目指す立場である事を考えるとこういう態度はナンセンスなんだろう。

アルコールが再使用の引き金になったことがあったかって?
思い当たんないなあ。
っていうかこれまで本気でクスリをやめようと思っていなかったし、酒を飲んでようが飲んでいまいが使いたいときは使うって感じでやってきたしなあ。
逆に、アンフェタミンの薬理作用を最大限に感受したいという思いが強くあったので、使う時は、身体も脳もこころもシチュエーションも万全に整えることに心血を注いでいた。
「アルコールでぼんやりしてしまった脳の状態で覚せい剤を使うのはもったいない」そんな風に思うタイプだったから(そういうタイプというものがあるのかどうかわからないが)、使わないために先にビールを飲んで「今日はクスリの日ではない」と自分を諦めさせることの方が多かった。見方によってはアルコールはボクにとってのハームリダクションだったのかもしれない。
アルコールはダウナー系だし、アッパー系の覚せい剤とは効果を打ち消し合うような気がしてしまう。(これって「アルコールのちゃんぽんは悪酔いするからよした方がいい」っていうクソ理屈とほとんど同じだ)。
このアップダウンのふり幅を楽しもうと、大麻マリファナのダウナー系ドラッグを覚せい剤と併用で使用する輩もいるが、フェニルアミノプロパン一筋の自分からすると、こういうのは邪道だ(五十歩百歩)。
どうしても使わずにいられない人には「ちゃんぽんは絶対にやめておいた方がいい」とアドバイスしたい。身体(とくに肝臓)にも悪いし、効きもよくない。ここのところは譲らず伝えたい。

アルコールが薬物だっていうのは多分間違いない。そして覚せい剤よりも絶対にアルコールの方が確実に危険である。(これはその筋の学者さん方も証明している)。薬物依存の場合だとスリップして最悪、捕まっとしても2、3年待てばまた会える。アルコールは、元気そうにしている人をたった一回のスリップでもう二度と会えない場所へあっさりとつれていってしまう。「ついこの間まで元気そうだったのに…」って驚かされることも少なくない。アルコールが身体と脳への与えるダメージは半端ないんだろう。コロナウイルスよりコロナビールの方が人を殺す。
薬物依存でよかったとは言えないけど、アルコール依存でなくてよかったとは言い切れる。とりあえずひとりのときと酒をやめようとするアディクトといるときには飲まないという自分ルールはこれからも守っていきたい。それが同じアディクトとしての最低限のマナーだと思うから。

 

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エイミーとブルーノとヴァレリー

自粛生活でやったこと

健全な人間は綺麗な部屋に宿る。いい機会だと思って部屋を徹底的に掃除した。って言っても普段から片付けはしっかりしてる方だしモノもあまりない。何よりうちは狭い。風呂トイレ水回り、二時間もかからずにピカピカに仕上がる。

学生時代の一人暮らしから就職、転職を繰り返し、住む部屋もどんどん広くなっていった。自慢ではないが(いや自慢だが)リノベーション雑誌の表紙にも載ったことがある。(結構住まいにお金をつぎ込むタイプだったんです)。

そして行き着いた先は独房。独房生活で得た教訓は...「狭くても人は人らしく生きれる」こと。今は大掃除が半日以上かかるようなとこには住みたいと思わない。

すっきりした部屋であとは自堕落に過ごそう。独房で十日間、誰とも話せないってのに比べれば一人きりで二日間引きこもりなんて楽勝だ。

 

アンタッチャブル」「オールドボーイ」「イーストサイダーズのシーズン3」「失くした体」「ホットロード」「パリ、夜は眠らない」「バードマン」「生きてるだけで、愛」「イミテーションゲーム」「ミッドナイトエキスプレス」「ゴッドファーザー」(ゴッドファーザーは最後の30分観れていないまま力尽きて寝てしまった...)

「パージ」と「ヘイトフル・エイト」と「7月22日」は今回はお預け。

合間の読書は文庫本は四冊。「日本ぶらりぶらり」「みみずくは黄昏に飛びたつ」「それでも日本人は戦争を選んだ」「天使が見たもの」。

 

なかなか健康で文化的な最低限度の二日間だったんじゃないだろうか?全然自粛じゃないって言われても知りません。

 

 

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SNSデトックスのついでに9モンも退会してみた。

はじめてのSNSデトックス

世間が自粛自粛とうるさいので何をすればいいのかと思い、とりあえずパソコンで「自粛」という言葉の意味を調べてみた。「自分から進んで、行いや態度を慎むこと。」と説明してあった。こんなの毎日やっている。クスリをやめるための努力のことだろう?自粛のつらさをみんな知ればいいってちょっといじわるに思ったりもした。
ついでに「不要不急」も調べてみた。みつからなかった。そりゃそうだ。生きていることすべてに意味があるんだから、不要不急の事態ってつまりは生きることそのものだもの。
なんて屁理屈は言わない。
とりあえずこの世間からの同調圧力をすごく好意的に翻訳してみると「コロナウイルス蔓延をさけるために優先順位をきちんとつけて生活してくださいね」ってとこにおちつくなかなあ。
ボクは今「最期まで人間として生きぬくこと」にすごく興味を持って生きている。というか目標にしている。この極個人的な行動指針と世間の声とのどこで折り合いをつけるのかが問われているんだろう。
HIVと依存症いう慢性基礎疾患もあるし、精神科での離脱プログラムと感染症内科の診察はマストだ。(以前の自分だったら考えられない)。NAはすごく迷うところだが、やめておくことにする。

周りはどうしているんだろう。Twitterやネットで探ってみる。何か荒れてるなあ。きっちり自粛しようとする人(できる人)が、好き勝手に放蕩している(ように見える)人へ苛立っている。「残念だ」とか「がっかりした」とかマイルドなI(アイ)メッセージなのに確実に鋭い。
どうしてその人の決めたことと自分の思いが重ならないからといって非難するんだろう。きっと電車にのって病院へ行ってるボクの姿も「非国民め!」って目でみられていたのかもしれない。正当な理由も「言い訳」としてしか届かない。
と思いながら非難する気持ちもわかる。
誰かの発する「自分あんまり(コロナだとか自粛だとかに)興味ないんだよね」という言葉に「無知は罪だぞ」って眉をひそめながらも、厭世をきどり「それもありだよね」なんて言って笑うだけだ。理由をもてない(もたない)ということだって立派な理由だろうにそこまで配慮できない。配慮できないくせに主張もしない。
マスクをせずに電車に乗っている人に「これ使ってください」と渡せるマスクももっていない。具体的に何かできる力も持ち合わせていない。
誰かを責める姿を否定する矢は、結局何もできない自分に突き刺さる。
自粛する側も自粛しない側も、どちらも加害者でどちらも被害者になっている。

なんかしんどくなってきた。情報が多すぎる。思いが複雑すぎる。誰かの思いを知るたびに、それが同調できるものであればあるものほど自分の言葉を失ってしまうような気がしてしまう。言葉を奪い合っているようだ。残り物の言葉ではうまく語れない。
いかんドツボだ。色々見失っている。自分を取り戻さなければ。
自粛か…ちょっとSNSから離れてみよっかなあ。ホントは一度すっきりさっぱりデジタルデトックスしたいところだけど映画くらいは配信で観たいしなあ。今回はSNSデトックス宣言にしておこう。ボクは週明けまで「SNSから身をおきます」。おーーささやかなる(けれどもとても身の丈に合った)自粛宣言ではないだろうか。パソコンはクローゼットにしまって、スマホの通知オフにして、言葉をためよう。
なんか変化あればいいけどなあ。変化を期待して、しばしさらば。

 

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不眠不休なら薬やってた頃はよくやっててわかってるんだけど。

とりあえずコロナ予防と自粛がどうもいまいちうまく繋がらないってのがモチベーションがいまいち上がんない理由な気がする。

ボクは東京が好きだ

桜を見る会」からはじまり、「パンデミック」「クラスター」「オーバーシュート」とまだ三月なのに今年の流行語候補は豊富だなあ(ボクの本命は「募っているが募集はしていない」)って思っていた矢先にまたまた新語「ロックダウン」だって。
東京が封鎖されるのか…ちょっと見てみたいなあって不謹慎な考えとともに浮かぶのは、ロックダウンになったら部屋にこもってクスリやるのにうってつけじゃんって…やっぱ病気だなオレ。常に覚せい剤を使う理由を探して生きている。

どうなってしまうんだろう東京。今だったら飛行機代安いだろうし福岡帰ろうかなあってプランが一瞬頭をよぎる。面接のときにロックダウンになって戻って来れなくなったらやだしなあ。やっぱりここにいよう。ボクは東京が好きだ。東京をもっと知りたいし、東京でこれから生きていきたいと思っている。だから今のこの状況を体験しておかねばと思う。

三週間、本格的にひきこもろうと思っている。うつされるのはまあいいとして、もしキャリアだったら誰かに感染させてしまうのはいやだから。NAもダルクも休みだ。
スーパー寄って買い物して、家に帰る。うがい手洗いの前になぜかカーテンを勢いよくしめてしまった。怖いなって思った。ウイルスじゃなく自分がだ。無意識だった分、余計怖かった。
日本にいると日本の正しい情報が手に入らない。テレビはもう見なくなった。一応あるけどネットフリックスのためだけのものだ。インターネットは便利だが自分が信じたい情報だけを都合よく選んで集めてしまう。そうなってはいけないと意識しているんだけど、どうしてもそうなってしまう。ニュースよりもニュースによせられる誰かのコメントにひっぱられる。それが一概にわるいとも言えないだろうが…。デジタルデトックスの時期なのかも。指定時間以上さわったらビリビリって微弱電流流れる機能のついたスマホないかなあ。
右を見て、左を見て、後ろを振り返り、考え見定めて、自分の進むべき道を歩きたい。ニュートラルでいたい。ニュートラルに世界をみたいだけなんだ。

なんでもいい、物語が読みたくなった。そういえば図書館に予約してた本が届いてるって通知が入ってた(ネット万歳)。米買い忘れたし、スーパーのついでに図書館よってこよう。クスリじゃなくて本を使ってトリップだ。

 

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それでも偏りのあるラインナップ

おくらいり

刑務所で書いていたノートをたまに読み返す習慣がある。忘れてしまった記憶がそこには残っているから。ふとめくったページに目をとめる。出せなかった手紙の下書きだった。どれどれと読んでみた。...それがあまりにあんまりだったんでここに転記してみる。


前略
思うがまま書きます。どう伝えようか(伝わるだろうか)考えないで書くんで覚悟して読んでください。
今回もらった手紙にはとにかく頭にきました。いいかげんしつこい!くどい!芸能人の息子の逮捕にからめてまたまたまた(三通連続)責められ続けてうんざりです。
ボクは今、自分の罪で罰をうけている最中です。見ず知らずの芸能人のやらかしたことについてボクを糾弾しないでください。清原、ASKA、そして今回と芸能人がクスリで捕まるたびにボクは謝り続けなければいけないのでしょうか。きっと「その通りだ。お前はそういうことをやらかしたんだから反省、後悔、謝罪しつづける姿を周りに対して示すのが義務なんだ」と言うんでしょうね。嫌だ。ぜんぜんわからない。わかりたくない。
いつもは、やれやれまいったなあと流せたり、世間の冷たさをうける予行練習だと受け止めたりできるんですが、今はダメみたいです。もう勘弁してください。
手紙にソフトバンクのことやグーグーの話があっても全くなごみません。ずっとこの叱責の文面に引きずられてしまいます。「しっかり」「気をつけて」という気づかいすら指示、命令されてるように思えてしまいます。
脅迫のようなもの言いに受け取られかねないと思ってずっと言えずにいましたが、この際だから言います。ボクは病気です。あまりにも逃げ場なく責められ続けると、あーもうクスリ使うしかないのかなあという気持ちになってしまうことがあります。これまでもありました。ギョッと、いやゾッとさせてるでしょうね。けど本心というか事実です。
だから追い詰めないで欲しいという訳ではありません。いや責めるくらいならほっておいて欲しいという感じです。どうして欲しいか自分でもわかりません。
ともかくため込まず書きました。吐き出した感じです。支離滅裂です。
二人ともボクに対する憤りを吐き出す場がなく心配や愛情がこういう言葉になっているんだとはわかります。だから手紙には自由に書いてください。勘弁してほしいという言葉とは矛盾してしまいますがボクはボクで自由に(言ってほしくないことは言ってほしくないというようなことも含めて)伝えようと思っています。
言いたいことをいうのはすっきりするんだと思っていましたが、そんなこともないんですね。言わずにいるよりはマシ程度なんだと知ることができました。
今日も午後から雨が降りはじめ空は白。10月中、外に出たのは十一回。色白になりそうです。
2017年10月吉日


幼稚な子供の書く文章だ。ここまで幼児がえりして攻撃的にならなければいけないほど弱ってたんだと。つらかったんだと。自分で書いたものなのに読んでいて胸が痛む。
ロバの耳をした王様の秘密を吐き出す穴がボクにも必要だった。それがこの手紙だった。
信頼と許しがあってこその自由と誰かが言っていたが、自由な関係にはボクら親子はまだまだほど遠いことをぎりぎりのところで理解したんだろう。出さなくて(出せなくて)よかったと思う。こんな恨み節だけでできた手紙は、ただの不幸の手紙だ。不幸の手紙は読んだ者も書いた者も不幸にする。踏みとどまった自分をえらいと思う。
今だって読ませられたもんじゃない。こんなゲロみたいな手紙。こんな風に思ってたんだよって言えるようになるにはもうすこし時間が必要だ。ちゃんと過去の話にしてしまえてからだ。この手紙は試金石だ。もう少し回復するから待っててほしい。
きっとうまくいく。いつか笑って読んでもらえる。手紙を書いててよかったと思える日が来る。だってあのイソップ物語だって結末はめでたしめでたしだったじゃないか。

 

 

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習慣、もとい収監ダイアリー