ヘリクツ
努力、忍耐、根性、その手の言葉が嫌いだった。子供の頃からそうだった。苦労への耐久力が人より劣っていたせいで苦労の絶えない幼少期だった。まあ比べても仕方ない。体質だと受け入れてた(潔さが社会性の余白を埋める)。
「若い頃の苦労は勝手でもしろ」という大人に「だったらブサイクと蔑まれた人はみんな心清き人にならないと話が合わないのではないか?でも現実は…」と詰め寄る可愛げのない子供だった。ボクは「貧乏が生きる知恵を育てる」なんて言いたくないし、誰にも言わせたくない。
はばかりを失くしたのは大人になってから。「必要のない苦労はすべきでない」。ためらわず自己主張するようになった。正直はいつも後からやってくる。
だからって生きやすくなんてならない「嫌い」が「できない」に変わっただけだ。正直だって、不正直だってしんどい。とてもしんどい。人生はしんどいのである。
「やれジムだ」「やれコスメだ」そんな自分磨きに余念のない(そして根こそぎ勝ちとっていく)努力するゲイ達を横目に、それでも暴飲暴食で好き勝手を貫いて生きていくのって、それはそれで勇気がいるんだよね。誰もわかってくれないだろうけど。