オレたちはやればできる子なんだ
口内炎ができている。
欲求のサイン。余震みたいなもんだ。
ヤバイなあと思った。
覚せい剤を使うのも好きだけど、覚せい剤について話すのも好きなたちだから自助グループなんかで語ることで欲求をガス抜きしていた。その会場が軒並み閉鎖となってしまっている。ここぞとばかり渇望が出て来るってのは想像にやすい。
使いたい気持ちがなかっただけで、使いたくないってわけじゃないからなあ。
立ち向かっていいタイプの渇望とそうじゃないタイプの渇望とがある。点で来るやつと面で来るやつの違いっていうか...
前者の渇望はマスターベーションでもすればひとまず落ち着く。
後者の渇望は何回ぬいたってどうにもならない。
大人しく眠っている渇望を探し出すような呪いの渇望。
ちょっともうこれはアディクトにしかわからないような凄まじさ。
とことんきついだけの辛さ。
やめようと思ったことを後悔してしまうようなどうしようもなさ。
出会ったならもう一目散に逃げなきゃいけない。
一人の独立した人格に近い渇望。マイナンバーあげてもいいくらいだ。
回復への感受性は敏感でいたいと思っているけど、たまに逃げ遅れてしまう時がある。
自我で渇望を見てはいけない。
メデューサを見るように固まって動けなくなってしまう。
相手の土俵で勝負してはいけない。
「使いたい渇望」に「使わないという意思」では勝ち目がない。引っ張られてしまう。確実に負ける。
渇望を見るときは地に足をつけたリアリティのある自分であれ。
睡眠も食事もきっちりとって部屋も身嗜みもこ綺麗にし友達づきあいも大事にしている自分で立ち向かわなければ足元から崩れてしまう。
結果オーライ的なハイヤーパワーじゃなくて、もっと能動的に片腕的な存在としてのハイヤーパワーを使いこなす。ダークサイドパワーに対峙する。ダークサイドを見極める。覚せい剤の輝きのもっと奥にあるものを目を眩まさず見つめる。
逃げずに受け止める。そうすべきときがある。
逃げるばっかじゃつらい。ときどき小さく勝ちたい。
一回の渇望を乗り越えるためにこの数ヶ月の生活はあったことを実感する。
割に合ってるのかわからない。
仲間に救われたといっても結局のところ自分なんだと思う。
だれかと共に過ごした体験を武器にひとりで乗り越える。
自分で自分を乗り越える。
なんとかする。そういうもんなんだろう。
元々そんなに根気のある人間じゃない。NAもスマープも離脱教育もクスリをやめるためだけに通うよりももう一つ何か理由があるから続くのかもしれない。
やめたいと思ってる人に言葉を届けたい。これがボクの夢だ。
依存症はちゃんと終われる。終わってるけど終わってることを伝えたくて残ってる人もいる。
第二章のアディクトたち。そうなりたいと思う。
届ける言葉は強いものでありたい。
力を持った言葉を手に入れたい。
やめていた方が強い言葉になる(とボクは思っている)。
嘘やごまかしの言葉は他人に通用しても自分には届かない。
今はやめといた方がいいぞと声が聞こえる。
誰かを支えるアディクトになりたいんだったらまず自分の渇望くらい直視できなくてどうするんだ。
ボクの前には依存症という扉が開いてしまった。
クスリを使った者の前にかならずこの扉が出てくる訳じゃない。けどあらわれてしまったんだから仕方ない。
その閉じることのない扉をくぐって先に伸びていく道を前に進んで行くしかないんだ。
前に前に前に進むだけだ。
香りのご褒美