もうほとんど令和のキリスト
月末になると金策に苦しみSOSを出してくる友人がいた。悲しいかな過去形の友人だ。言われた額を何も言わずに貸していた。翌月頭に返してもらい、また月末になると泣きついてくる。そのルーティンがしばらく続いた。
毎回「お願いします!」と90度に頭を下げる彼に、「金を貸すと人は消える」この寂しい現実を払拭してくれて…「まだまだ人は捨てたもんじゃない」そう思わせてくれて…「こちらこそ返してくれてありがとう」と心の中、手を合わせ感謝の気持ちで貸していた。
彼が消息を断つ日、いつもよりも多めの額を無心して来た。ためらいがなかったといえば嘘だ。だけどボクは何も言わずに求められたまま差し出すという美学を貫いた。
以後、彼からの連絡は途絶えた。
「どうしてる?feat.お金返してほしい」
「元気?feat.返金まだですか」
そんなメッセージを送る自分も嫌になり、そのうち、彼の番号はつながらない番号へと変わった。
「すいか」というドラマで小林聡美が演じる主人公が「わたし、お金貸す人いないんです。34になるまで人にお金を貸したことが一度もないんです」といってやや強引に借金を押し付けるシーンを思い出した。
貸そうと決めたのはボクだ。貸したのもボクだ。奪われたわけじゃない。返ってこなかった現実ごと受け止めなければいけない。別れを汚してしまった責任の一部は自分にある。信じるって、もうほとんど信じたいに近いことなんだよなあ。お金なんかに負けないって信じたいんだけどなあ。みんなじゃないだろうけど、一人くらいは見つけたいなあ。
ドラマの終盤、「苦しい。苦しいよー」と泣きながら逃げる3億円横領犯役の小泉今日子に彼が映る。また会える日は来るのだろうか。ボクは会いたいなあ。返してくれたらまた貸すから会いたいと思う。会えることをボクは信じる。信じる力がボクを生かす。
あの時の「ありがとう」はきっと「ごめんなさい」の聞き間違えだったんだろう