ある依存症者の終わらせたい日記

人生の大事なことは覚せい剤が全部教えてくれた。HIV×ゲイ×依存症×前科⇒精神保健福祉士のライセンス失効⇒最近復権。君子豹変して絶対に幸せになる。

奇跡の日

彼女が子供を連れて出ていった日のことはよく覚えている。あの日はちょうど年末の仕事納めで、新しく買ったマンションに両親と弟家族を招待していた。
その頃には、もうけっこう確実に夫婦関係は破綻していて、もしかしたらという疑いもあったけど、まさかなあという期待をもって帰宅したマンションの部屋にはやっぱり誰もいなかった。ちょっと買い物に出ていった感じでないのは何故だかわかるもんだ。帰るつもりはないという意思だけは部屋にしっかり残っていたからだろう。
行先が羽田空港ということ以外は何のヒントもない。第一ターミナルなのか第二ターミナルなのかもわからない。年末の混雑した空港で二人を見つけるなんて奇跡だとわかっていたが、足は向かっていた。引き止められないこともわかっていたが、もう一度会いたかった。
ドラマみたいなことってあるもんだ。直観で向かった第二ターミナルで所在なさげにベビーカーを押す彼女を見つけた。彼女はボクをみて、ちょっと感心したように驚いて、そして笑った。「ちょうどトイレに行きたかったの。この子みてて」と息子を手渡してくれた。ボクは奇跡を胸に抱いた。とても小さくて柔らかくて可愛いい抱き心地の奇跡だった。
彼女がトイレに行っている間に連れ去ろうかと本気で迷った。衝動に身をゆだねるべきときが人生には何度かあってそれが今だとわかっていた。なのにできなかった。置き去りの父親よりも子供から引き離された母親の方が絶対に辛いだろうと思ってしまったからだ。ごちゃごちゃ考えず連れて帰ればよかったんだと後悔している。自分と一緒にいた方が彼は幸せになれるとどうして思えなかったんだろう。どちらにしろ考えてしまっている時点でもう負けだ。‪本当に大事にしたいものを前にして自分が全く頼りにならない。あれはなんの罰だったんだろう。
トイレから戻ってきた彼女に彼を抱き渡した瞬間、ボクの奇跡は終わった。
ことの顛末を孫に会うのを楽しみにやってきた両親と弟家族へどんな風に話したのかは思い出せない。ただ弟の嫁が「お兄さんぜったいに許したらいけませんよ」ってなんだか悲しそうに怒っていたのだけ覚えている。

 

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