ヒーロー
先週末、警察官に捕まった。
ここ数ヶ月、スリップ(薬の再使用)が止まらず、もう捕まるしかないかなあと半ば諦めていた矢先だった。
その日もいつものように出会い系のアプリに掲示されているアゲ系の書き込みにアタックし、Wic/経由で会うことになった。待ち合わせに指定された場所はシーサイド品川駅から歩いて20分ほどにあるローソンだった。海に近いんだろう。凍えながらあるいた。待つこと一時間、23時半を過ぎ最終電車も気になりはじめ、きっと冷やかしだろうと帰ろうとしていたところにマンションの部屋番号が送られてきた。「部屋は暗くていいか?」「もう先に食っている?」などのあまりやり取りしたことのないようなメッセージが送られてきたときに気づけばよかった。いや、まっとうな判断力なんてもうなかったんだろう。あまりの寒さに耐えきれずコンビニのトイレですでに少し入れたボクは軽くキマったまま指定されたインターフォンの部屋番号を押していた。
予告通り部屋は薄暗いワンルームだった。目つきの悪い男がソファーに座っていた。窓際に置かれたぬいぐるみを釣り合いだなあと思った。帽子をとってほしいとその男はボクに言った。ボクはこういうときにはいつもキャップスタイルなのである。素直に応じた。「若くみえるね」とその男は言った。調子に乗りやすいボクは「これでも五歳サバ読んでます」と誇らしげに答えた。
「もう入れてるんですか?」と聞くと頷くから「じゃあボクも入れますね」と伝え、ユニットバスで10メモを入れた。鏡に映るのは懐かしの薄っぺらい自分。3ヶ月かけてつけた筋肉は跡形もない。すこし手間取ったが無事静注できた。ガツンと来た。ふらふらした頭と体で男に近づき触れようとしが、男はボクを諌め、ベッドに座らせた。一息ついて「どんな仕事してるの?」「危ない人じゃないよね?」「ひとり暮らし?」など質問してきた。それでもボクは気づかなかった。しゃべる方にキマるタイプなのかななんてのんきに思っていた。唐突に「警察官なんだ」と聞こえた。見上げると警察手帳らしきものが見えた。どんな反応をしていいのかわからなかった…というかどんな反応をしたのか覚えていない。続けざまに「このマンション警察官の寮なんだよね」といわれ「ああ、終わった」と思ったことだけ覚えている。
「動かないでね」と落ち着いた(だけど有無を言わさない)口調での指示にボクは素直に従った。慣れた手つきではめられる白い手袋がボクをさらに動けなくさせた。白い手袋をはめたその腕はサクサクとなんの躊躇いもなくバッグから財布を取り出し、中身をチェックしていった。どんな仕事してるの?」「危ない人じゃないよね?」「ひとり暮らし?」…さっきと同じ質問がまったく違って聞こえた。
「調書取ってるわけじゃないから正直に言ってね」と言われたからではなく、免許証を見ながら「@@さんって言うんだ」と名前を呼ばれたせいで誤魔化せなくなった。聞かれるまま前科の話、刑務所の話、治療の話、障がいの話、仕事の話…事実を語った。
「オレにどうしろっていうんだ」と男は言った。ボクは「見逃してほしい」とは言えなかった。長くも短くもない静寂を破ったのは男の方だった。「ただってわけにはいかないからな」。手垢のついた言葉が聞こえた。「そういうことか」と合点がいき、安心した。言い渡された金額は安くはなかったが支払えないほどの額ではなかった。コンビニに戻り金をおろし、指定された金額を受け渡した。「金は力だ」とここまで実感したのははじめてだった。
「もう会うことは無いだろうけど」その男の口にした捨て台詞にボクは何も答えなかった。終電も往ってしまった駅へと向かうキマったままの体はあのとき何に震えていたんだろう。
警察学校でゲイははじかれると聞いたことがある。あの男はゲイだったんだろうか。そもそも本当に警察官だったのだろうか。はじめから罠だったんだろうか。ヒーローと名付けられたあの男のアカウント名はどういう意味なんだろうか。いまさら確かめようとは思わない。
あれから一週間がたち、もう体から薬はぬけている。(1キメ1射精の継続は途切れてしまった…)だけどあの帰り道を今もまだずっと歩いている気分だ。どこへ向かっているのだろうか。辿り着ける場所なんてあるんだろうか。
やわらかな傷跡
(注)これけっこう昔話ではあります