ある依存症者の終わらせたい日記

人生の大事なことは覚せい剤が全部教えてくれた。HIV×ゲイ×依存症×前科⇒精神保健福祉士のライセンス失効⇒最近復権。君子豹変して絶対に幸せになる。

はじめてのSNSデトックス

世間が自粛自粛とうるさいので何をすればいいのかと思い、とりあえずパソコンで「自粛」という言葉の意味を調べてみた。「自分から進んで、行いや態度を慎むこと。」と説明してあった。こんなの毎日やっている。クスリをやめるための努力のことだろう?自粛のつらさをみんな知ればいいってちょっといじわるに思ったりもした。
ついでに「不要不急」も調べてみた。みつからなかった。そりゃそうだ。生きていることすべてに意味があるんだから、不要不急の事態ってつまりは生きることそのものだもの。
なんて屁理屈は言わない。
とりあえずこの世間からの同調圧力をすごく好意的に翻訳してみると「コロナウイルス蔓延をさけるために優先順位をきちんとつけて生活してくださいね」ってとこにおちつくなかなあ。
ボクは今「最期まで人間として生きぬくこと」にすごく興味を持って生きている。というか目標にしている。この極個人的な行動指針と世間の声とのどこで折り合いをつけるのかが問われているんだろう。
HIVと依存症いう慢性基礎疾患もあるし、精神科での離脱プログラムと感染症内科の診察はマストだ。(以前の自分だったら考えられない)。NAはすごく迷うところだが、やめておくことにする。

周りはどうしているんだろう。Twitterやネットで探ってみる。何か荒れてるなあ。きっちり自粛しようとする人(できる人)が、好き勝手に放蕩している(ように見える)人へ苛立っている。「残念だ」とか「がっかりした」とかマイルドなI(アイ)メッセージなのに確実に鋭い。
どうしてその人の決めたことと自分の思いが重ならないからといって非難するんだろう。きっと電車にのって病院へ行ってるボクの姿も「非国民め!」って目でみられていたのかもしれない。正当な理由も「言い訳」としてしか届かない。
と思いながら非難する気持ちもわかる。
誰かの発する「自分あんまり(コロナだとか自粛だとかに)興味ないんだよね」という言葉に「無知は罪だぞ」って眉をひそめながらも、厭世をきどり「それもありだよね」なんて言って笑うだけだ。理由をもてない(もたない)ということだって立派な理由だろうにそこまで配慮できない。配慮できないくせに主張もしない。
マスクをせずに電車に乗っている人に「これ使ってください」と渡せるマスクももっていない。具体的に何かできる力も持ち合わせていない。
誰かを責める姿を否定する矢は、結局何もできない自分に突き刺さる。
自粛する側も自粛しない側も、どちらも加害者でどちらも被害者になっている。

なんかしんどくなってきた。情報が多すぎる。思いが複雑すぎる。誰かの思いを知るたびに、それが同調できるものであればあるものほど自分の言葉を失ってしまうような気がしてしまう。言葉を奪い合っているようだ。残り物の言葉ではうまく語れない。
いかんドツボだ。色々見失っている。自分を取り戻さなければ。
自粛か…ちょっとSNSから離れてみよっかなあ。ホントは一度すっきりさっぱりデジタルデトックスしたいところだけど映画くらいは配信で観たいしなあ。今回はSNSデトックス宣言にしておこう。ボクは週明けまで「SNSから身をおきます」。おーーささやかなる(けれどもとても身の丈に合った)自粛宣言ではないだろうか。パソコンはクローゼットにしまって、スマホの通知オフにして、言葉をためよう。
なんか変化あればいいけどなあ。変化を期待して、しばしさらば。

 

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不眠不休なら薬やってた頃はよくやっててわかってるんだけど。

とりあえずコロナ予防と自粛がどうもいまいちうまく繋がらないってのがモチベーションがいまいち上がんない理由な気がする。