ある依存症者の終わらせたい日記

人生の大事なことは覚せい剤が全部教えてくれた。HIV×ゲイ×依存症×前科⇒精神保健福祉士のライセンス失効⇒最近復権。君子豹変して絶対に幸せになる。

淘汰の穴

あえて視野狭窄になる
その方が生きやすいからだ
必要のない機能はだんだんと淘汰されていく
そのうちそれがあたりまえになる
ある部分が研ぎ澄まされていく
それは生き延びるため
環境への積極的適応、つまりは最適化
 
淘汰の穴を埋めるように新しい感覚が身にそなわる
人はそれを進化と呼ぶ
これらは目的的になされない
変化に反応しただけだ
ただこうなってしまった
それだけのことである
 
 


【ニュース】在宅でもできる恋愛相談はじめました

 

 

f:id:ultrakidz:20210321191826j:imageこの世の中は強い人が弱い人を助けるためにあるの!

ボクの人生はなくし物でできている

ここ何日か社用の携帯電話が見当たらない。

なくしたわけじゃない。

なくしたわけじゃない。

なくしたわけじゃない。

見当たらないだけで、なくしたわけじゃないんだ。

見つかれば、なくしものはなくしものではなくなる。

そう自分に言い聞かせる。

わかってる。バックに入れたはずなのにないなあと思ったとき、ちゃんと向き合えばよかったったんだ。けれども「自分の『はずなのに』は当てにならない。きっと家にあるはずだ」と先延ばす。家に帰っても見つからない。代わりに「そうだ、会社に置いてきてしまったんだ」と新たな可能性を見つける(ボクは可能性を見つける達人なんだ)。もちろん次の日、会社にはない。

落ち着きのないボクは寄り道が多い。心当たりがどんどんふえてしまう。結局、取り返しのきかない事態になるというわけだ。

あーこれまでの人生、何度同じことを繰り返したんだろう。

はーこれからの人生、何度同じことを繰り返すんだろう。

後悔と反省はいつもあとからやってくる。いちいちに傷つくのにもつかれた。なるようにしかならない。時間に委ねようと決めた矢先、見知らぬ携帯番号からの着信が入る。

コングラッチュレーション。

「見つかる」「発見される」「届けられる」「戻ってくる」…胸がぽかぽかする言葉たち。ハッピーエンディングの知らせだった。

ボクの人生はなくしもの…いや感謝でできている。

おかえり!ありがとう!!!

 

 

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逃げちゃダメだ!逃げちゃダメだ!逃げちゃダメだ!

 

6月7日 キーケース→池袋の交番に届けられる

8月1日 スマホ→大久保の路上に落ちていたと戸塚警察署より連絡がある

12月9日 パスモ→駅前の駐輪場にて落ちていたと駐輪管理事務所から電話が入る

1月初旬 社用携帯その1→まだ見つかっていない

12月30日 自転車の鍵 自転車置場に落ちている

2月25日 財布→道端に落ちていたと戸塚警察署に届けられる

3月5日 パスモ→練馬車庫にて発見される

3月12日 社用携帯その2→TOHOシネマズ池袋にて見つかる

 

収監ダイアリー②

空が高い。「ここ最近でいちばん暖かい」が日々更新されていく。気づけば三月だ。「一月には仮釈もらって出てやる」そう豪語していた大ちゃんがまだここにいる。

「一月に出るんじゃなかったっけ?」とボクはきいた。

「全然ムリみたい。六月くらいになりそうだって副担に言われた」他人事のように大ちゃんは答える。

副担と大ちゃんは仲がいい。というか大ちゃんは副担のことを好いている。副担もまんざらではなさそうだ。あんなマイホームパパみたいなキラキラしたやつのどこがいいのかさっぱりわからないんだが人の好みはそれぞれなんで口は出さない。性的ベクトルにかかわらず、みんな大なり小なり話しやすい刑務官がいるらしい。ボクは…強いて言うなら正担かな。そう!権力に弱い質なのである。

大ちゃんとボクはよく似ている。年齢も近いし、ゲイだし、看護師ってことで病院で働いていたところも一緒だし、覚醒剤が大好きなところも大事なポイントだ。大ちゃんは、ボクより刑期がちょうど一ヶ月はやい。ボクは懲罰をくらっているので模範囚の大ちゃんより先に出ることはまずない。大ちゃんが出ないうちはボクの順番は回ってこない。目に見える指標が大ちゃんの出所だからそんなにあせらない。

「淘汰はさー、どうして焦んないの?早く出たくないの?」

「最近はあんまり思わん」

「ここに来たときからそんな感じだったよね。ここを楽しみつくそうというか。そういうとこあるよね」

「ちがうよ。ここをじゃなくて今をだよ

「ことごとくネガティブをカットしてるよね。すごいよ」

大ちゃんは笑う。ボクも笑う。笑ってから最近笑っていなかったことに気づく。

ただなんとなく過ぎていく時間をやさしく愛でることのできないボクは、楽しむことに対しても意志的自覚的になってしまう。余暇の少ない刑務所だからよけいにその姿勢が際立ってしまうのかもしれない。

楽観?鈍感?たぶん違う。きっと不安なんだ。不安に耐えられないから光を探そうとしてしまう。その姿を前向きだと人は言う…だけどはたしてそうなのか。まあいい。一月が往ったて、二月が逃げたって、三月が去ったって知ったこっちゃない。今日笑えばいい。一日一笑。そうさ!今日だって(こんな場所だって)立派な笑顔を誰かとシェアできたんだから。それだけで十分だろう?

 

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笑いすぎの人生

表情筋を酷使した結果…

収監ダイアリー①

獄友の大ちゃんが訊いてくる。

「CD4いくつなん?」

CD4とは免疫の状態を確認する数値のひとつでHIVの快復の目安となる。健康な人だと1000近くあり、ここ刑務所の病舎にいるHIV患者はだいたい500前後を推移している者が多い。200以下になると医療刑務所行きだ。最近、医療刑務所から移送されてきたボクは「この前の検査だと200くらいだったかな」と答える。

「えーけっこう低いね」そう大ちゃんは言う。

医療刑務所では「CD4が8だった」とか「無菌室に入ってた」とか「もう3回発症した」とか強者どもばかりだったら、快復の兆しを手に入れているボクは希望の星的存在だった。居場所が変われば価値も変わる。中学校では優等生だったのに、実はそうではなかったと打ちのめされた高校時代がフラッシュバックした。

「そんなんじゃ畳から出れないよ」大ちゃんは追い打ちをかける。

HIV患者は独房処遇である。独房は基本ベッド仕様なのだが畳部屋がなぜか3つある。ボクはここにきてからずっとこの畳部屋、文字通り座敷牢収容者だ。

畳部屋から出れない理由がわからず「なんで?」と尋ねるボクに「知らないの?あそこはCD4が低い人か頭がおかしい人が入るって決まってんだよ」と教えてくれる。

頭のおかしい人という言い方はよくないと思ったが、とても伝わりやすくわかりやすい表現なのでここは見逃しておこう。だけど刑務所でのこういう噂には根拠がないことがとても多いので(というかほとんどがデマであるから)、エビデンスを確かめなければと思いボクは「なんでそんなこと知ってるの?」と訊いてみた。

大ちゃんは自信を持って答えた。

「前のときオレずっとあそこだったもん」
うーーん。実体験か。ない話じゃないのかもな。

大ちゃんがずっと座敷牢だったのは本当にCD4のせいだったのだろうか。頭の方のせいなのでは…その問いは、自分にも降りかかるものなので会話はここで打ち切る。

まあいい。だってボクはベッドよりも畳のほうが意外に落ち着いて好きなのだから。

 

 

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こんなのに慣れちゃってたから貧困ビジネスの無料低額宿泊施設を見ても驚けなくなってしまっている

活動家未満のソーシャルアクション

ソーシャルワークにはソーシャルアクションとよばれる技法がある。ざっくり言うと、地域社会の理不尽に対してそれってちょっとおかしいだろうって物申し、変えていこうとする取り組みのことである。(ざっくりすぎてすみません)。

ただしソーシャルワーカーのやるソーシャルアクションってのは正直いって手ぬるい。今ある地域にいかに順応できるかという関わりでいつも精一杯。退院先の患者さんを受け入れてくれる気のいい大家さんと仲良くなる程度。役所の窓口でサービスの手続きがスムーズにいかなかったときだって、じゃ別の区にいってやってみようなんて風に波風起こしたくない思考に支配されてしまっている(クライエントの不利益回避っていう大義名分をしっかり用意してるところがまたずるい)。満員電車にすみませんって恐縮しながら割り込ませてもらうような地味な印象しかない。決してそれを否定してるわけではないが、「ノーモア満員電車!」「通勤ラッシュなんてなくしてしまえ!」と仕組みごと変えてしまおうという活動家的熱量に比べれば…薄いと言わざるを得ない。世の中のせいにせず自己責任で人生をやりくりするのに慣れてしまうと社会を変えようという気概が欠落してしまうのかもしれない。自助第一主義の弊害なんだと思う。

「折り合い」という言葉を少し脇にいてみる。せっかく上司が活動家なんて環境なんだし、まずはそこからはじめてみようか。

 

 

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どうしてだか惹かれてしまう

このアンチ福祉スピリッツ宣言

押したら最後、友達がいなくなるスイッチ

中学生の頃、塾に馴染めないボクに過保護な両親は家庭教師をつけた。

近所の大学に張り出された募集の張り紙には「癖のある子供です」と但書があったそうだ。(あとになってその家庭教師の先生が教えてくれた)。

親も子育てに苦労したんだと思う。

我慢ができない子供だった。

特に火災報知器には目がなかった。

小学生の頃から、火災報知器を見ると押さずにはいられなかった。

休み時間、友達同士で「お前押してみろよ」なんてふうに小突き合いながらそそのかし合っているのをよそにためらわず押すタイプ(そういうタイプがいるのかわからないが)だった。

ドンびく少年たち。こいつマジかよという目で見られる。

一回押すたびにひとり友達が減っていく。

大きな音は苦手だし、一人は寂しいし、叱られたいわけでもないのにどうしてか惹きつけられてしまう。わかっていても抑えられない衝動の存在をボクは子供ながらに知ってしまった。

手当り次第押しまくったおかげで飽きてしまったのかもしれないが、今は報知器をみてもときめかない。

努力しなくても人はおとなになれるんだ。

 

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オオカミ少年の話はキライです

ボクが精神科に通う理由

今日は月に一度の精神科受診だった。ボクがこのクリニックに通いはじめてもうどのくらいになるんだろう。

出所時、就職先の受け入れの条件として精神科への通院が義務づけられた。出所したのが2018年の夏だったから、かれこれもう三年になる。


通院に抵抗感はなかった。精神科の勤務経験もあったし、逆にだからこそ患者の立場でどんなふうに自分が立ち振る舞うか、どんなことを自分が感じるか興味があった。


病名は「覚醒剤依存症」。とはいっても依存症を専門に扱ってる病院ではなく、リハビリもグループワークもない。通院での主治医との面接(精神療法)だけだ。薬だって風邪薬しか処方されたことはない。そういえば今日の診察、覚醒剤の話したっけなあ。いったい何のために通っているのか自分でもよくわからない。

世間的に精神科通院というのはあまり聞こえがいいものではない。偏見は確実にある。その偏見を背負うリスク以上のメリットがなきゃ精神科なんて受診する気になんないはずなのに、自分でもそのメリットが何なのかよくわかっていない。

まあ、もともと治してもらおうと思って診察室のドアを開けたことなんて一度だってないし。(病気という自覚がないというのとは違うので誤解なきよう)。気づかないうちに病気になってたんだから、気づかないうちに治ってることもあるんだろう。


再発(再使用)予防のためなんだろうか?

違うな。ボクの場合、使いたくなってもきっと言わないと思う。渇望に懊悩しながら背徳に蝕まれて使うからこその覚醒剤だと思っているから。

だから、鋭く渇望を察知するような医者だったらすぐに通院をやめてたような気がする。うまく騙されてくれる(もしかしたら気づいてるのかもしれないが気づかないふりをしてくれる)先生だから通ってるんだと思う。いい主治医だと思う。いい主治医とは自分に合う医者だという意味にほかならない。自分にあう精神科とめぐりあうなんて奇跡だとだれかがいっていたが、患者の側も主治医との関係を大切にする努力が必要だと思う。


今のところ大すべりして大事故なんてことはなく(違う!去年一度あったや)、とりあえずサバイブできてるってことは何かしら効果はあるってことんなだろう。

そのうち海外のセレブみたく精神科受診だってある種のステイタスになる時代が……来ないだろうなあ。まあいいや。

「もういんじゃないですか」って言われるまでは通い続けようと思っている。精神科通院なんてそのくらいカジュアルでいいんだと思う。

 

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待合室にビッグイシュー!!!

刑務所で彼氏ができた

刑務所にいた頃、日記を書いていた。二年間、毎日欠かさずに書いた。その日の出来事、読んだ本、覚えておきたい言葉、手紙の下書き…しがみつくように書いた。あの頃、自分の支配下に置くことができたのは書くことだけだったから。もちろん刑務所なんで定期的に検閲がある。チェックされると思うと刑務官の悪口は特に気合を込めて書けた。(悪口は文才を伸ばす)。思うがままに書き記した獄中収監ダイアリー。自分史…そう言っても過言じゃない。文字で埋め尽くされた五冊のノート。そこにひとつだけ書かなかったことがある。いや正しくは書けなかったことかな。書きたかったけど書けなかったこと。それは彼氏のことだ。そう、彼氏についてだけは書くことができなかった。

ボクにはつきあったと呼べる男性が三人いる。その三人目の彼氏については日記に書いていない。なぜならその彼氏は刑務所でできた彼氏だったからだ。バレてしまい自分が懲罰になるだけならいい。だけど相手がそうなってしまうのは忍ない。いや本当は「オヤジらに目をつけられて転棟なんて措置になったら会えなくなるし洒落にならない。リスクは極力避けたい」それが一番の理由だった。そういうわけで、たまに読み返すピンクのノートには彼に関することは何も書かれていない。

 

彼との話をしよう。

彼はボクの後に新入として入ってきた。なぜか来た時点でボク以外の病舎の連中とはすでに馴染んでいた。出戻りだったせいだ。みんなより先に出て行って、みんながいるうちに戻って来たということだ。可愛い顔してあの子わりとやるもんだねと少し尊敬した。

彼もヤク中。運動中の桃色談義(つまりはピンクトーク)では、いつ、どこで、だれと、どんなキメセクをやってたかをルーティンのスパーリングのように語り合う。こんな端正な顔立ちで、あどけない雰囲気なのにエロ方面では結構エグい淫蕩男児。かわいいルックスで淫乱って…無敵じゃないか。オレのエロメガネにかなうヤツ。

「ここにいる間だけでいいからさあ。オレとつき合わない?」告白した。愛は惜しみなくいってみよう。普段、苦手な相手ともそつなくうまく付き合ってしまう反動で好意の対象へのアプローチの場面では気持ちがアンコントローラブルになってしまう。

人生捨てたもんじゃない。オーケーの返事をもらえた。

文字通り薔薇色の彼氏持ち刑務所生活が始まった。まあ付き合うと言っても、お互いに独房同士。たいしたことはできない。運動中、一緒に歩いたり、入浴中にチョメチョメしたり、××××つきのちり紙を見つからないように交換しあったり…その程度のプラトニックな関係だったが実にカラフルな時間でもあった。

ぴりっとした冬の朝の空気もやさしく思えてしまう。気持ちのど真ん中にしっかり陣取る意思、執着、まるで依存。明日に回せることは明日に回すようにしてきたがそうもいかない。起きて気づく「あー今日も好きみたいだ」ってね。つきあうってことは、相手に対する愛情を出し惜しみしなくていい権利を得ることである。つまりはどんどん好きになっていいんだ。

日中の作業が終わり道具出しの瞬間。わずかに目が合う一瞬。背景が消える。独り占めしている。独り占めされている。互いが互いだけのものになる。それでいい。それだけでいい。宝物をみんなに「すごいでしょう」って自慢するよりも、ひっそりひとりで愛でる方がいい。その濃厚な刹那を全部丸ごとやきつけて夜を超える。オレたち贅沢者。

「幸せですか」の冷やかしに「おかげさまで」と返せる至福。イチャイチャしすぎで風紀を乱すと指摘もされた。お互いの衝動を受け止めあっているだけで、それをイチャイチャって言われるのは心外なんだけど、関係ないね。

恋愛はいい。知らない自分に出会える。例えば嫉妬。こいつはどうして割り込んできてオレ達の邪魔をするんだろう。やつの隣はオレの居場所のはずなのに。柄にもない(というかこれまで出会ったことのない)感情があらわれる。鷹揚さを美徳に生きてきたがそれを失った瞬間ボクは以前と違う生き物へと変わる。変態だ。

 

色々あってよかった。色々あったからこそ出会えた。無理くりにでも人生の全てに意味を持たせる。顰蹙なんてクソくらえ。

 

出所日、荷物を持ってゆっくりと廊下を歩くボクに彼は部屋から変顔で挨拶をしてくれた。以来彼とは会っていない。刑務所内では出所のことを卒業って言うんだがあながち間違いないのかも。だってあの時間はボクにとっては紛れもなく青春だったから。

元気かなあ。いつか打ち上げ花火みたいなキメセクをしようと交わした約束は結局叶わなかったけど。元気だったらいいなあ。ボクは今も元気です。

 

 

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隠れて渡したラブレター(レプリカ)

真冬の夜回り

ボクらの夜回りでは夜の都心を二時間ほどかけて歩く。とても疲れる。持ち歩く食材の重さのせいではない。だって配り歩いて荷物は減りながらも肩の重さは変わらない。ちっぽけな自己満足をひとつ配り、大きな罪悪感をひとつ受け取る。


路上で寝ている人へなんと声をかければいいのだろう。伝わる言葉がわからない。共有できる言葉がない。それだけでもうとてつもない障害だ。一緒に歩いていたインターンの学生が問うた。「あの人たちは自分の意思でああしているんですか?」ボクは答えることができなかった。彼らがそこにいる理由…。わからない。わからないからボクたちはこうやって夜回りをしているんだろう。「聞くことが権利擁護だ」。誰かの言葉が闇夜をふっとよぎる。


彼らとは家族や故郷の話では盛り上がらない。それどころか触れてはいけない過去であることの方が多い。癒やそうと触れることで傷つけてしまう怖さ。触れなければいけないのに触れられない。…難しい。

一度の出会いをどれだけ意味のあるものにできるかが専門家としての腕の見せどころなんだと思う。今、懐に入らなければ、次はいつかわからない(次なんて来ないかもしれない)。今、今、今…鮮度がものをいうホームレス支援。

うまくできないボクは受け渡すSOSガイドに自分の携帯番号を書いた名刺とテレフォンカードを挟む。「よかったら連絡ください」そう謝るように願うように。その人の可能性を信じるストレングスモデル。これってもしかしたら支援者ための概念なのかもしれない。

 

路上の人はみんな違う。なのによく似て見えてしまう妙。いつの間にか風景にも化してしまう怖さ。闇に身を隠す彼らを見逃すまいと目を凝らし歩いているとそのうち街路樹も人の形に見えてくる。

いつもの場所にいなかったおじいさん。暖の取れる場所にいてくれたならいいんだが。今年の冬は寒い。早く過ぎてはくれまいか。

 

 

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センスのない排除アートからのリア充ハラスメントビルディング。ホームレスの人たちを排除する街なんて、そのうち誰もいなくなるだろう。まったく豊かじゃない国ですね。

クレンジングクリームひと塗り

悪口は言っても陰口は言わない

そう自分に言い聞かせて生きてきた

言いたいことがあるなら本人言おう

どんなに底意地悪くたって直接言えば救いの出口は見つかるはずだと

だけどそうはいかない根性の悪さ

人間の小ささ

澱に満たされもれる毒

そして今日、陰口を当の相手に聞かれてしまう失態

まじ最悪

だけどもういい大人同士

聞かないふりに言わないふり

なかったことでことなきを得た


次会った時に「あのときはごめんなさい」そう言えばいい

吐き出してリセットして勝手に楽になる

毒は毒のままなのにね

以前だったらそうしてた

けど今回はやめておく

自分の中でとどめておこう…

 

はーつらい

こういうつらさはほんとつらい

つらさを受け止めたい

この痛みは教訓だ

そう戒めたい

 

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もっと大人食堂

元旦の夜、初夢の中でボクは見知らぬ誰かの相談対応をしていた。大晦日、一日と生活困窮した人の話を聞きまくったせいだ。

長期の連休が日雇い労働者を追い詰める。ゴールデンウィークとお盆休み、それに年末年始。特に年末年始は寒さが追い打ちをかける。

炊き出しの弁当の配布とともに相談会を実施した。頼ってきた人たちに使える社会資源はもう生活保護しかない。だけどそのくらい逼迫、切迫した状態でも「生活保護だけは…」皆ためらう。

困窮者支援はテンポが速い。命に寄り添おうとするあまり、気持ちを疎かにしてしまう。制度の利用を押し売るボクは「そんな常識的な話なんか聞きたくない」背を向けられた。…反省する。そりゃそうだよなあ。これまで常識に痛めつけられてきたんだろうから。

今日のこの出会いを制度に繋げなければ最後かもしれないという支援者の覚悟にも似た思い上がりが重荷に変わる。「生活保護生活保護うるさくいうな!」怒鳴られもした。今日だけ生きれればいいと言う人に、明日も生きててほしいと願うボクの言葉はお節介として届く。未熟さが身に染みる。もっと面接がうまくなりたい。

ボクはソーシャルワーカーだ。活動家や政治家ではない。彼らの社会や政治を制度ごとひっくりかえすようなダイナミックなやり方にはなじみが浅い。ただ目指す社会像は同じだと思う。理想社会へ近づくための手段としてボクの持つソーシャルワークのスキルを使ってもらえればいい。そう割り切っている。

 

三日間で何人救えたのだろう。

 

日常が始まり普段の業務の中で新たな相談者と出会う。彼はあの日の炊き出しにも来たという。相談会には並べなかったらしい…

足りない。あー全然足りない。本当は炊き出しに来た588人全員の話を聞かなければいけないのに。それが社会よりも個人をみるソーシャルワーカーの役割なはずなのに。そうだろう?足りない。足りない。あーもう全然足りない。

 

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吹きさらしの相談会はお互いに震えながら

寒さくらいは共有できたのかも

たかが成人式、されど成人式

たかだか成人式のためにお金と休みを使って地元に帰るなんてバカらしいとしか思えなかった。
卒業アルバムも重くて捨ててしまったし。

コロナで成人式が中止になってぽっかり心に穴があいたとの新成人。その傷心がボクにはよくわからない。だけどニュースになるくらいだからそっちの感覚がきっと常識なんだろう。

懐かしみたい思い出がないってことが普通じゃないって全くもって気づきもしなかった。

ただ、ボクがここまで生きてこれたのはガールズの振袖のおかげでもあるから(実家が呉服屋なんです)、成人式、全否定はできません。

 

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振袖じゃないけど沢尻エリカの白無垢はいいなと思った

まとまらない「地域福祉の理論と実践」の話

はるか昔に福祉の専門学校でクラスをもっていたことがある。

お金のために教えていた。一度目の逮捕のときに三週間収監された結果、無断欠勤となり、結果100万円以上減俸となってしまった。家のローンもある。養育費もある。年収を埋め合わせるためのダブルワークだった。

一時間半の授業の資料を作るのに大体8時間くらいかかる。覚醒剤を使って寝ずに資料を作り、そのまま授業にでていた。半年間よく頑張ったと思う。(やり方はどうであれ、あの努力については自分で自分を褒めてあげたい)。

「クスリを使ったからあの作品ができた」。有名人がクスリで捕まったときによく聞く言葉だがそれは違うと思う。作品の良し悪しにクスリは影響しない。作品を作る産みの苦しみをすっとばせるという効果はあるだろうけど。まあだからといってあのときの学生たちに後ろめたい気持ちはいっさいないといったら嘘になる。

 

そのときに担当していたのは「地域福祉の理論と実践」。正直難しかった。

福祉の現場では医療機関ソーシャルワーカーの方が地域のワーカーよりも高度な専門性をもち、高尚であるという偏見がある。だからジェレリックよりもスペシフィックを目指す学生が多かった。社会福祉協議会なんかで働きたいっていうと「安定に逃げたか」と口にはしないが蔑まれる見えない空気もあった。

個人的にも「地域」というあるのかないのかわからないようなゆるい仕組みの中で仕事をしているとゆるい職業意識になっていく。そんな固定観念(偏見と無知)もあった。この地域福祉に対する苦手意識は、自身の地域に対する不信が原因だった。

どの教科書にも、地域の弱体化が課題だと書かれてある。だけど、セクシャルマイノリティであり、アディクトであり、それを隠す生き方をしていた者としては、もともと地域に居心地の良さを感じてこなかった。地域の排他性については語れるが、繋がりの大切さみたいなもについてはうまく語れない自分がいた。地域なんて弱体して然るべき。みんなひとりで生きるために強くなるべきだ。そんな風に思っていた。孤独だったんだと思う。孤独なワーカーが地域福祉を教えてはいけない。

 

役割がないとうまく立ち振る舞えない。ソーシャルワーカーという肩書があるから誰かと関わることができていた。だから素の自分を武器にできるボランティアにいつも劣等感をもっていた。劣等感を刺激する相手とうまく仕事ができるはずがない。福祉職以外の人と仲良くなりにくい特性ゆえの息苦しいネットワーク。あの頃のボクの携帯電話のアドレス帳には仕事関係の人しかいなかった。

 

すべてのソーシャルワーカーはコミュニティワーカーであるべきだ。今はこう言える。ソーシャルワーカーの顔しか持っていないソーシャルワーカーはダメとまでは言わないが福祉家と名乗るには不十分だと思う。

地域の中でありのままの自分が受け入れられている実感を得たからこその趣旨変え。転向。

 

地域のつながり、絆について語るときにはコミュニティの排他性にまでしっかり言及してほしい。そしてそれでも地域っていいもんだよと自分の実践で理想を語れる人こそ教壇に立つべきだと思う。あの頃のボクにはその資格はなかった。今だったらきっと、もうちょっと力強く地域っていいもんだぜって言えるような気がする。

いきあたりばったりの様に見える人生であっても、改めて振り返ってみると今につながる「何か」がたしかにあって、それをストーリーとして物語れる。それは福祉の現場に携わる誰もがもたなければならない自己覚知なんだと思う。

 

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白昼夢

コロナ禍の象徴のひとつアクリルボード

原宿留置での苦い思い出がよぎる

あの日、面会室のドアを開けると部下が3人座って待っていた

アクリルボード越しに対峙したボクらは誰も何も話さない

話せない

一言でも言葉を発してしまったら自分がどうなるかわからなくて、世界ごとひっくり返ってしまいそうな気がして一ミリも動けなかった

 

わっと涙が出そうなのをぐっと堪らえようとしときにはもう遅かった

涙はこぼれ落ちていた

たった一滴だけで体重が何キロも減ってそうなそういう類の涙

悲しいのか、恥ずかしいのか、情けないのか、もう何がなんだかわからなくて

ただただ温かかった

温かくて熱い涙だった

その熱はこびりついてた余計なこころの澱を溶かしてくれた

あれ以来、ボクは涙もろい

 

 

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PrEPの脅威

年末に友達とゲイバーに行った。

「あの人死んだんだって。実はエイズだったらしいよ」
そんな話題が出た。

(おっ!きたきたー)

「近頃多いらしいねえ。身近にいるでしょう?」

案の定ママがふってきた。

ちょっと誇らしげに「オレ、キャリアですよ」って言ってみた。(露出狂の心境)。

間髪入れずに友達が「自分PrEPしてますよ」って言いやがった。

「なにそれー」ってやつに食いつく周りたち。

...もってかれた。

もうHIVキャリアだけでは太刀打ちできない。
ちょっと悔しかった。

ちくしょー。

 

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https://hiv-prep.tokyo/