もっと大人食堂
元旦の夜、初夢の中でボクは見知らぬ誰かの相談対応をしていた。大晦日、一日と生活困窮した人の話を聞きまくったせいだ。
長期の連休が日雇い労働者を追い詰める。ゴールデンウィークとお盆休み、それに年末年始。特に年末年始は寒さが追い打ちをかける。
炊き出しの弁当の配布とともに相談会を実施した。頼ってきた人たちに使える社会資源はもう生活保護しかない。だけどそのくらい逼迫、切迫した状態でも「生活保護だけは…」皆ためらう。
困窮者支援はテンポが速い。命に寄り添おうとするあまり、気持ちを疎かにしてしまう。制度の利用を押し売るボクは「そんな常識的な話なんか聞きたくない」背を向けられた。…反省する。そりゃそうだよなあ。これまで常識に痛めつけられてきたんだろうから。
今日のこの出会いを制度に繋げなければ最後かもしれないという支援者の覚悟にも似た思い上がりが重荷に変わる。「生活保護生活保護うるさくいうな!」怒鳴られもした。今日だけ生きれればいいと言う人に、明日も生きててほしいと願うボクの言葉はお節介として届く。未熟さが身に染みる。もっと面接がうまくなりたい。
ボクはソーシャルワーカーだ。活動家や政治家ではない。彼らの社会や政治を制度ごとひっくりかえすようなダイナミックなやり方にはなじみが浅い。ただ目指す社会像は同じだと思う。理想社会へ近づくための手段としてボクの持つソーシャルワークのスキルを使ってもらえればいい。そう割り切っている。
三日間で何人救えたのだろう。
日常が始まり普段の業務の中で新たな相談者と出会う。彼はあの日の炊き出しにも来たという。相談会には並べなかったらしい…
足りない。あー全然足りない。本当は炊き出しに来た588人全員の話を聞かなければいけないのに。それが社会よりも個人をみるソーシャルワーカーの役割なはずなのに。そうだろう?足りない。足りない。あーもう全然足りない。
吹きさらしの相談会はお互いに震えながら
寒さくらいは共有できたのかも