ボクの人生はなくし物でできている
ここ何日か社用の携帯電話が見当たらない。
なくしたわけじゃない。
なくしたわけじゃない。
なくしたわけじゃない。
見当たらないだけで、なくしたわけじゃないんだ。
見つかれば、なくしものはなくしものではなくなる。
そう自分に言い聞かせる。
わかってる。バックに入れたはずなのにないなあと思ったとき、ちゃんと向き合えばよかったったんだ。けれども「自分の『はずなのに』は当てにならない。きっと家にあるはずだ」と先延ばす。家に帰っても見つからない。代わりに「そうだ、会社に置いてきてしまったんだ」と新たな可能性を見つける(ボクは可能性を見つける達人なんだ)。もちろん次の日、会社にはない。
落ち着きのないボクは寄り道が多い。心当たりがどんどんふえてしまう。結局、取り返しのきかない事態になるというわけだ。
あーこれまでの人生、何度同じことを繰り返したんだろう。
はーこれからの人生、何度同じことを繰り返すんだろう。
後悔と反省はいつもあとからやってくる。いちいちに傷つくのにもつかれた。なるようにしかならない。時間に委ねようと決めた矢先、見知らぬ携帯番号からの着信が入る。
コングラッチュレーション。
「見つかる」「発見される」「届けられる」「戻ってくる」…胸がぽかぽかする言葉たち。ハッピーエンディングの知らせだった。
ボクの人生はなくしもの…いや感謝でできている。
おかえり!ありがとう!!!
逃げちゃダメだ!逃げちゃダメだ!逃げちゃダメだ!
6月7日 キーケース→池袋の交番に届けられる
8月1日 スマホ→大久保の路上に落ちていたと戸塚警察署より連絡がある
12月9日 パスモ→駅前の駐輪場にて落ちていたと駐輪管理事務所から電話が入る
1月初旬 社用携帯その1→まだ見つかっていない
12月30日 自転車の鍵 自転車置場に落ちている
2月25日 財布→道端に落ちていたと戸塚警察署に届けられる
3月5日 パスモ→練馬車庫にて発見される
3月12日 社用携帯その2→TOHOシネマズ池袋にて見つかる