まとまらない「地域福祉の理論と実践」の話
はるか昔に福祉の専門学校でクラスをもっていたことがある。
お金のために教えていた。一度目の逮捕のときに三週間収監された結果、無断欠勤となり、結果100万円以上減俸となってしまった。家のローンもある。養育費もある。年収を埋め合わせるためのダブルワークだった。
一時間半の授業の資料を作るのに大体8時間くらいかかる。覚醒剤を使って寝ずに資料を作り、そのまま授業にでていた。半年間よく頑張ったと思う。(やり方はどうであれ、あの努力については自分で自分を褒めてあげたい)。
「クスリを使ったからあの作品ができた」。有名人がクスリで捕まったときによく聞く言葉だがそれは違うと思う。作品の良し悪しにクスリは影響しない。作品を作る産みの苦しみをすっとばせるという効果はあるだろうけど。まあだからといってあのときの学生たちに後ろめたい気持ちはいっさいないといったら嘘になる。
そのときに担当していたのは「地域福祉の理論と実践」。正直難しかった。
福祉の現場では医療機関のソーシャルワーカーの方が地域のワーカーよりも高度な専門性をもち、高尚であるという偏見がある。だからジェレリックよりもスペシフィックを目指す学生が多かった。社会福祉協議会なんかで働きたいっていうと「安定に逃げたか」と口にはしないが蔑まれる見えない空気もあった。
個人的にも「地域」というあるのかないのかわからないようなゆるい仕組みの中で仕事をしているとゆるい職業意識になっていく。そんな固定観念(偏見と無知)もあった。この地域福祉に対する苦手意識は、自身の地域に対する不信が原因だった。
どの教科書にも、地域の弱体化が課題だと書かれてある。だけど、セクシャルマイノリティであり、アディクトであり、それを隠す生き方をしていた者としては、もともと地域に居心地の良さを感じてこなかった。地域の排他性については語れるが、繋がりの大切さみたいなもについてはうまく語れない自分がいた。地域なんて弱体して然るべき。みんなひとりで生きるために強くなるべきだ。そんな風に思っていた。孤独だったんだと思う。孤独なワーカーが地域福祉を教えてはいけない。
役割がないとうまく立ち振る舞えない。ソーシャルワーカーという肩書があるから誰かと関わることができていた。だから素の自分を武器にできるボランティアにいつも劣等感をもっていた。劣等感を刺激する相手とうまく仕事ができるはずがない。福祉職以外の人と仲良くなりにくい特性ゆえの息苦しいネットワーク。あの頃のボクの携帯電話のアドレス帳には仕事関係の人しかいなかった。
すべてのソーシャルワーカーはコミュニティワーカーであるべきだ。今はこう言える。ソーシャルワーカーの顔しか持っていないソーシャルワーカーはダメとまでは言わないが福祉家と名乗るには不十分だと思う。
地域の中でありのままの自分が受け入れられている実感を得たからこその趣旨変え。転向。
地域のつながり、絆について語るときにはコミュニティの排他性にまでしっかり言及してほしい。そしてそれでも地域っていいもんだよと自分の実践で理想を語れる人こそ教壇に立つべきだと思う。あの頃のボクにはその資格はなかった。今だったらきっと、もうちょっと力強く地域っていいもんだぜって言えるような気がする。
いきあたりばったりの様に見える人生であっても、改めて振り返ってみると今につながる「何か」がたしかにあって、それをストーリーとして物語れる。それは福祉の現場に携わる誰もがもたなければならない自己覚知なんだと思う。