活動家未満のソーシャルアクション
ソーシャルワークにはソーシャルアクションとよばれる技法がある。ざっくり言うと、地域社会の理不尽に対してそれってちょっとおかしいだろうって物申し、変えていこうとする取り組みのことである。(ざっくりすぎてすみません)。
ただしソーシャルワーカーのやるソーシャルアクションってのは正直いって手ぬるい。今ある地域にいかに順応できるかという関わりでいつも精一杯。退院先の患者さんを受け入れてくれる気のいい大家さんと仲良くなる程度。役所の窓口でサービスの手続きがスムーズにいかなかったときだって、じゃ別の区にいってやってみようなんて風に波風起こしたくない思考に支配されてしまっている(クライエントの不利益回避っていう大義名分をしっかり用意してるところがまたずるい)。満員電車にすみませんって恐縮しながら割り込ませてもらうような地味な印象しかない。決してそれを否定してるわけではないが、「ノーモア満員電車!」「通勤ラッシュなんてなくしてしまえ!」と仕組みごと変えてしまおうという活動家的熱量に比べれば…薄いと言わざるを得ない。世の中のせいにせず自己責任で人生をやりくりするのに慣れてしまうと社会を変えようという気概が欠落してしまうのかもしれない。自助第一主義の弊害なんだと思う。
「折り合い」という言葉を少し脇にいてみる。せっかく上司が活動家なんて環境なんだし、まずはそこからはじめてみようか。
どうしてだか惹かれてしまう
このアンチ福祉スピリッツ宣言