ある依存症者の終わらせたい日記

人生の大事なことは覚せい剤が全部教えてくれた。HIV×ゲイ×依存症×前科⇒精神保健福祉士のライセンス失効⇒最近復権。君子豹変して絶対に幸せになる。

テトリスがきまるように

スマホが震える。見知らぬ番号から着信だ。好奇心が強いのでためらわずスライドで応答する。見覚えのない若い男の声が「新宿署、生活安全課の佐藤です。淘汰さんですか」と話す。今ボクはクスリをやっていないし警察から連絡を受けるいわれはない。うしろめたい気持ちもまったくないんだがうまく返事ができなかった。

留置中の色のない時間。手錠の冷たさ。不快な腰縄。地検の硬い椅子。気持ちごと潰されてしまう重いドアの閉まる音。ぶわああっと嫌な感覚がおそって来た。

あの頃、ボクは収監生活をとにかく楽しんでやろうと強い意志を持って過ごしていた。負の感情に支配されてへこたれそうになる自分があらわれるとイメージの世界でそいつを一発ぶん殴って気絶させることでつらさを乗り越えたていた。それでうまくやり過ごせた。だがヤツはしぶとい。釈放されてもう三年が経とうとしているがこんな風に不意打ちでカウンターを食らわせてくる。

そんなこちらのトラウマなんてお構いなしで事情説明をしてくる生活安全課の男。その事情については省くがざっくりいうと知り合いが捕まったらしい。携帯電話を持たない彼の交友関係の手がかりは財布に入っていたボクの名刺だけだった。面会に来て欲しいと言われたボクは「すぐに行きます」と答えた。

 

新宿留置には二〇一七の七月の終わりから八月のはじめまでの三週間いた。どうせ刑務所行きだと自暴自棄になっていたボクはシラフに耐えられず毎日覚醒剤を使ってハッテン場に入り浸っていた。歌舞伎町をふらふら歩いているところを馴染みの警察官に捕まった。きっとマークされていたんだろう。保釈中の逮捕だった。けっこうな絶望だ。

職質の直前にもっていたパケをビニールごと飲みこんだせいで取り調べも領地調べもぐりぐりの幻覚妄想状態でけっこうぐちゃぐちゃだった。同じ留置部屋の全身入れ墨ヤクザさんのことを内偵警察だと思いこんで「いやーこの彫り物、偽物なのによくできてますね」ってからんでいた。留置所はエレベーターでは三階とあるがこれは仕掛けで実際は四階にあるという妄想は今もなくなっていない。心の底から警察を憎んでいた。

 

数年ぶりの新宿署はあまり変わっていなかった。受付に立つ竹刀を持ったいかつい男に要件を告げる。ザ!歌舞伎町って感じの女の子たちに混じってエレベーターホールの椅子に座っているとしばらくして名前を呼ばれた。案内され「入ってください」と言われた部屋はなつかしいアクリル板の景色。椅子に座って彼を待つ。こちらからははじめてなのにデジャブを覚える。ぶあつい体の警察官に連れられ「すみません」と恐縮しながら入ってきた彼にあの日の自分が映る。あのときの自分はどんな気持ちだったのか。なんて言ってほしかったのか。思い出せないまま「大丈夫?元気だった?」目を合わせ笑う。二〇分の面会は自分と話しているようだった。

うらみ、つらみ、ねたみ、そねみ…そういったたぐいの記憶も全部まるごと覚えておこうと決めて生きてきた。これからの人生の糧にしてやろうと大事に抱えていた。そんな積年の覚悟がたった二〇分の面会であたたかい温度と色のある場所として上書きされてしまった。テトリスが決まってすべて平たくになったみたいなあっけなさだった。……こんなはずじゃなかった。でもこんなものなのかもしれない。自分は自分に都合よくできている。ボクの出来上がりはたぶんやさしい。絶望に支えられたやさしさってのもありなのかもしれない。

やさくなったボクはここに呼び出してくれたアクリル板の向こうの彼に今とても感謝している。できる限りのことをしたいと思っている。おとしまえをつけるってきっとこういうことを言うんだな。全ての出来事にグッドラック!グラウンドゼロはここからはじまる。

 

 

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格子の向こうの光を歌った『太陽の破片』
カラオケ行きたいなあ