ある依存症者の終わらせたい日記

人生の大事なことは覚せい剤が全部教えてくれた。HIV×ゲイ×依存症×前科⇒精神保健福祉士のライセンス失効⇒最近復権。君子豹変して絶対に幸せになる。

「自立訓練」って何?

昨日と今日は精神保健福祉士の国家試験日。

もともとPSWだったのでPSWの仕事の話をする。

かつて働いていた福祉サービス事業所では「宿泊型自立訓練」というサービスを提供していた。病状は安定しているが、長期入院などでの影響で生活スキルが損なわれてしまった利用者に対して、これから地域で自立した生活をしていくためのトレーニングを行う入所型の施設だった。

当時の僕の「自立訓練」に対する考え方はこうだった。施設の中で「掃除」「炊事」「健康管理」などのソーシャルスキルを身につけても、使いたい場所で使えないなら意味がない。施設の中での自立と地域での自立は違う。施設のバカでかいIH仕様のキッチンで料理ができたって仕方ない。大概が二口ガスコンロの単身者用アパートに出ていくことになるんだから。施設の近所のスーパーの陳列位置を覚えたって仕方ない。新居近くのスーパーで一から覚えなおさなければいけないんだから。施設の掃除ができたって仕方ない。掃除道具もスケジュールも退所後は一人ひとり違ったものなんだから。そういった理由で施設内でのトレーニングに重きを置いていなかった。具体的なスキルは実際に暮らす地域の生活の中で訓練しながら身につけていったほうが合理的であろうと。確かに間違っていない考え方だ。

今だったらどうだろう。すこし違う。スキルを獲得していく体験を通して自分に誇りを持ってもらうような関りもできるんじゃないかという視点が加わった気がする。長く病院や施設でくらしていると社会に出るのが怖くなる。自信もなくなる。自信の経験値をあげ、自分のことを大切にできる自分になってから地域に社会復帰してほしい。「そのためにどんなプログラムが有効だろうか」そんな風に考えれるようになった。自立訓練は踏切板のような存在で、過去を超えたことに自信をもってまっすぐ進んでいってもらいたい。そして支援者も誰かを飛ばしながら飛ばしてもらい一緒に前に進んでいく。そんな風に成り立つ世の中ってのが理想だと。

もっと利用者と支援者一体となったコミュニティをつくり、それを利用した取り組みもやれればよかったなあ。そこでたくさんのポジティブな関係性を作ることが利用者にも事業所にもプラスになったはずだったなあ。

もうひとつ。これは経験から得た教訓に近い気づきなんだが、それは「娯楽」へのアプローチ。社会復帰という「自己実現」の人間として最終上位の欲求にチャレンジするには「生理的欲求」「安心安全の欲求」「所属の欲求」「承認の欲求」が十分に満たされなければいけない。生理の止まってしまった拒食症の子は標準体重に戻っても生理は来ない。普通体重よりも多めの体重にならないと生理は戻らないという。これから自立していこうとする人にとって、休息、食事、余暇は標準以上に彩りあるものが用意されてなければいけない。そこへのアプローチは甘やかしではないし、ためらってはいけないんだと。「衣食足って礼節を知る」って昔の人はいいこと言ってんなあ。

業界から離れることで職業アイデンティティが強まるってことを実感する今日この頃。支援してもらう立場になって、感謝する体験をすることでソーシャルワーカーも捨てたもんじゃないと思えたのは素直によかったと思える。

 

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文章が固いなー固い。それに仕事モードだと口調も思考も「べきだべきだねばならぬ」になってしまう。どうにかせねば、あっ!またやったw