ある依存症者の終わらせたい日記

人生の大事なことは覚せい剤が全部教えてくれた。HIV×ゲイ×依存症×前科⇒精神保健福祉士のライセンス失効⇒最近復権。君子豹変して絶対に幸せになる。

わかちあい

分かち合いの必要性がわからない。

幼いころから誰とも仲良くして来なかった「仲良くしたいか」よりも、「仲良くできるか」「仲良くなる必要があるか」が大事だった。いつでも身軽でいたかった。人間関係が煩わしくなりそうになったらすぐに引越して、(小菅、八王子、府中も入れれたら)もうかれこれ15回くらい。

薬も同じ相手とは使うことはなかった。一期一会。ワンナイトラブ。自分も相手も道具のように使ってやるキメセクが好きだった。

LINEの登録も上限20。誰かを登録したら誰かが消えるって自分でルールを決めて、人付き合いにリミットを作って生きてきた。

分かち合わずにこれまで生きて来たから、今更分かち合いが必要だと認めることは自分の生き方を否定することになる気がしてどうしてもできない。


もしかしたら思い違いをしてたのかもしれない。ミーティングへの参加が気づかせてくれた。ミーティングで話しきった後の気持ちは、でっかいうんこが出たときのスッキリ感に近い。最近はミーティングで話せないと、ハッテン場で誰ともできなかった時の帰りみたいに肩を丸めて「はーっ...」って感じになる。

みんながみんな真剣に聞いてるわけじゃない、というかほとんど誰も真剣には聞いていない、時には気持ちよさそうな寝息も流れてくるんだけど、不思議と話しておきたくなる。

まだまだ自分にとって都合のいい裸の王様の穴的利用だから、吐き出すばっかりで「晒し合い」の「化かし合い」。「わかちあい」にはなっていないのかもしれない。だけど自分の心の澱を言葉にして伝えることで記憶の質が変わるというか、浄化されるというか。そういう効果は確実にある。


分かち合うって相手の荷物を背負うってことでも、自分の荷物を預けることでもなく、もっとお気楽なものなのかもしれない。

言いっぱなし聞きっぱなしの場って普通の生活じゃまずない。物足りないなんて思わず、その貴重さを忘れずにいたい。