ある依存症者の終わらせたい日記

人生の大事なことは覚せい剤が全部教えてくれた。HIV×ゲイ×依存症×前科⇒精神保健福祉士のライセンス失効⇒最近復権。君子豹変して絶対に幸せになる。

キメセク依存。つまりは引き金に指をかけたままの人生。

引き金
ボクは覚せい剤が好きというよりは、覚せい剤を使ってやるセックスが好きなので、覚せい剤依存ではなくキメセク依存といった方がたぶん正しい。
だから覚せい剤を使う引き金(欲求のきっかけになるもの)を尋ねられてもよくわからない。じゃあキメセクの引き金は?なんだろう。...性欲か?そうとしか答えようがない。
たぶんボクは常にmrmrしている。…しかたない。人間(オス)ですからね。
よくいう「給料日」「仕事の後」「公衆トイレ」「クラブ」「ミネラルウォーター」「ドラッグストア」…そういう外的引き金はキメセクを連想させることはあっても直接性欲を高めることはない。じゃあ何が性欲を刺激するのか…。しいていうなら「自分の性的興奮に耳を傾けやすい(かつ行動化しやすい)ひとりきりの(予定がない)時間」というのがボクにとっては引き金と呼べるのかもしれない。だけど、ひとりでいるときに再使用(再交尾)へこころがよろめいてしまうってわかっていても、それをさけるために誰かにいつもそばにいてもらうわけにはいかない。だって孤独も好きだし。ひとりが好きでひとりがスリップの引き金になる。つまりは引き金に指をかけたままの人生。うーーーん。なやましい。


「あの人の前では覚せい剤を使いづらい。悲しませたくない」って人はいるだろうか。当たり前に家族だったり、友達だったり浮かぶんだけど…正直、罪悪感は歯止めにはなんないんだよね。どんな人もどんな場所もストッパーにならない。やるときゃやる。
そんな重症なボクでも目の前にクスリがあったのにキメセクをためらった(やれなかった)ことが過去三度ある。
まずは注射器がなかったとき。ボクは針中(注射をうつ瞬間を愛する人)なので炙りもアンダーインも論外。その時はペンが手に入るまでの丸一日以上を我慢できた貴重な体験だった。
次に、痔だったったとき。キメセクはアナル不可だとやる意味がない。わがままにどっちもやりたい派なんです。(わかるやつにだけわかればいい)。おしりかち○こが壊れたらボクの依存症は完治するんだと思う。文字通り痔エンド。
それからもうひとつが、歯医者に行かなければいけなかったとき。クスリが体に残ったまんまの歯医者はもう失神(&失禁)しそうになるくらいの激痛覚悟なんでこれも体が拒否。
この3つの状況のときにだけ、ボクはノーと言えるアディクトとなれた。
それ以外は、もう金曜の夜からは使うってスケジュールに組み込まれてたんで錨も引き金もなかった。
みんなはどうだったんだろう…。

 

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引き金は引いてこそ引き金
どんなに重く大きな錨があったとしても指先ひとつで引き金はひけてしまう。もしかしたら錨がうっとうしいなんてことを理由に引き金を引こうとするのかもしれない。まあそれもいんじゃないかって思ったりもする。
「引き金と錨の一覧表」をみても100%(いつも使っていた)と0%(決して使わない)の両極端に集中している。いつも使うかいつも使わない。あいだがない。あいだがないから疲れる。
過激派がロハスに走る。凶悪犯が牧師になる。晴美が寂聴に変わる。そんな反転を凡人に求められても困るんだよね。「だいたい使っていた」「ほとんど使わなかった」のスカスカ部分を埋めていくことを目標にしてもいんじゃなかろうか。「もう一生使いません」なんて血眼で生きるか死ぬかみたいになるよりも、もっとポップに「盆と正月の連休だけは彼氏とこもって楽しみまーす」って方が夢があっていんじゃないか。きっとこういう意見は教科書的にはナンセンスなんだろうけど。クスリの使用も人生で丸め込む。それもありだと誰か言ってはくれないか。
こんな風に思うのは再発のサインなのかな。まあいいや。

なんか依存症について語ると結局セックスの話になってしまって24時間365日全方向性的人間っぽく思われてやしないかとても心配になるんだよなあ。