ある依存症者の終わらせたい日記

人生の大事なことは覚せい剤が全部教えてくれた。HIV×ゲイ×依存症×前科⇒精神保健福祉士のライセンス失効⇒最近復権。君子豹変して絶対に幸せになる。

なぜ私たちはここにいるのか

NAのミーティングに初めての仲間が来た時のテーマは「なぜ私たちはここにいるのか」と決まっている。

なぜここにいるのかって?それはクスリをやめたいけどやめられないからだ。参加者みんだそうだ。「やめる」「やめない」どちらかに思いが振り切ってしまっていればこんなミーティング会場に来て、うだうだ分かち合いという名の自分語りなんかすることもない。やめたい気持ちとやめられない気持ちがないまぜになって、それでもかろうじてやめたいという思いが今勝っているからわざわざ足を運んでくるんだろう。

どうしてこんな風にこじれてしまったのか。それはそれぞれのヒストリーがあるはずだ。なぜここにくることになったのかを語るために、ボクはいったい人生のどのあたりまで遡ればいいんだろう。

覚せい剤にはまってしまいもうどうにもならなくなった頃、いつか捕まって、職場もクビになって、刑務所に入って、きっと自分の周りには誰もいなくなる、そんな日が来るんだろうと想像していた。みごとその通りになった。あの頃想像していたどん底に今いる。だけど、そのどん底に立ってみるとまた更に堕ちた先のどん底が見えてしまう。あの頃には見えなかった底の底。絶望は底をつかないことを知る。

底は底で悪くないぜ。なんて前だったら軽口を叩いてたろう。同じ道だったら景色のいい方を見ながら歩くのを信条に生きてきたし。刑務所生活だって満喫してた。運動中、タイプの子を見つけて「とりあえずここにいる間だけでもいいからさ、オレとつきあわない?」って誘って彼氏をつくって、ラブライフ充実させてたし。懲罰覚悟でいろいろやったなあ(詳細は自主規制)。

そんな折に「父危篤」もとい「父骨折」の報が入る。オヤジ年取ったなあ。

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HIVになると寿命が七年短くなるってどこかで聞いてから(ほんとかどうかわかんないけど)、我が家系の男どもの平均から逆算すると自分の人生の残りがもうあと20年ちょっとしかない事実に直面する。やばくね?って話。時間が自分の味方じゃなくなるってこういうことかって実感。

終わりが見えると優先順位がつけやすくなる。お父さん、そしてHIV、気づかせてくれてどうもありがとう。クスリを使うと失った二日を二週間かけて取り戻すような毎日になってしまうから単純にもったいない。まだまだやりたいことは山積みだ。ゆえに覚せい剤のランキングダウン。きっと圏外にフェイドアウトすることはないだろうけど、動向を見守りながら今日も明日もNAに行きますかね。

なぜ私たちはここにいるのか?

なぜ私たちはここにいるのか?

なぜ私たちはここにいるのか?

ボクがここにいるわけは、この問いにいつも答える準備をしておくためなのかもしれない。