ヤバ種から咲く花
HIVの電話相談のボランティアをはじめてもう一年になる。
「HIVに感染したかもしれない」
かかってくる電話の主訴はだいたいが感染不安だ。
コロナ騒ぎがピークのときには相談件数も減ってしまい「HIVは感染症の王様じゃなかったのか?ぽっとでのコロナなんかに圧されてどうするんだ!」と憤ったこともあったが、最近はまたもとの相談件数に戻りつつある。
いろいろな相談がある。
いろいろな人がいる。
みんな不安を抱えている。
少しだけでも電話を切ったあとに楽になってほしい。
そういう思いで受話器をとる。
「ゴムはつけていた」「フェラチオをされるだけだった」
こういった感染の可能性のない行為だったら「感染の心配はありませんよ」と安心を共有して受話器をおける。
だけど…「途中でコンドームがはずれてしまった」「お互いにオーラルはあった」
ってな場合だと話は違う。わずかであるが可能性はある。1パーセントにも満たないわずかな確率。それでも「絶対に大丈夫」という言葉を期待して電話をかけてくる迷い人にはそんな数字も意味のない慰めでしかない。症状では感染の有無は診断できない。初期症状は出ない人もいるし、あっても発熱、倦怠感、リンパの腫れなどよくあるものだから。確実なのは検査しかない。そして検査結果が出るまでの60日。この時間が本当につらい。漠然とした不安はしんどい。具体的な不安には具体的な解決がついてくるが、漠然とした不安は中腰の辛さとでも言えようか、とにかくしんどい。HIVになってしまったほうが、HIVノイローゼよりも楽に思えてしまうのもこういうことなんだろう。
ネットの世界には安心はない。極力スマホはみないように。
独りが一番良くない。どうしようもなくなったら遠慮せずに電話するように。
悩んだところで結果は変わらない。自分がリラックスできる時間をすごすように。
ボクにできるのはテンプレートの助言しかない。自分を安心させるように。
HIVはもう怖い病気ではない。医学の進歩のおかげで死の病ではなくなった。そのことをいくらわかりやすく説明しても「あなたはそういうけれど実際は違うんでしょう」と詰め寄られることもある。売り言葉に買い言葉。「そんなことはない。実際に自分も…」とカミングアウトで応酬するなんてことはしない。
だけども、ときに切実に、ときに真摯に陽性だった人の話を聞きたいという相談もある。そういうときには、自分がキャリアだということを打ち明けることもある。キャリアで生きることについて語るときもある。
以前はなるべくいいとこだけを伝えたいという「無理して」みたいなものがあった気もするが、最近はキャリアで生きるデメリットさえなかなか思いつかなくなってきている。
いい風に伝えようとしていい風な言葉でHIVを語り続けていたら実際にHIVについてのイメージがいい風に変わってしまった。やっかいだったHIVに添える言葉が変わる。ヤバ種からの芽吹き。きれいな花が咲きそうな予感。人間なんてかんたんなもんだ。
HIVだけど普通に生きている。ただそれだけが誰かの励みになる。その事実がむず痒い。かさぶたを剥がしたくなるあの感じ。ヤバ種に執着していたのはこの感慨を味わいたかったからなのか?んな馬鹿な。まあいい。
「HIVじゃないから大丈夫」は伝えれなくても「HIVでも大丈夫」は嘘偽りなく差し出せることができる。これからもHIVの人生をいい風に上書きしていこうと思う。HIV(+)なんだからポジティブに生きなきゃね!
学校で性教育バンバンやればもっと色々がいい風になるはず