マグマとジョーカー
ボランティアの語源はヴォルケーノつまりは火山。そこにあるのは義務でも使命でもなく沸き立つ思い。ただそれだけを頼りに行うものだと教わった記憶がある。
ボクも今、とあるHIVの支援団体でボランティアをやっている。自分がHIVに感染したときに色々と相談にもらった恩返しをしようと思ったのがきっかけだった。
去年の今頃だったかなあ。ボランティアをはじめるための研修を受けた。
あの頃は「自分がHIVであることも、薬物依存であることも、ゲイであることも、前科者であることも、丸ごと全部受け入れてくれない者にボクと関わる資格はない」となんとも高飛車な態度で生きていた。大上段に構えることでで自分を守っていたんだと思う。名前よりも先にジョーカーを相手側に晒して「あなたこのババ引けますか」と出会う人ごとに試していた。そりゃみんな逃げるわな。なんとも露悪的で自虐的、不器用すぎる生き方だ。(若干今もその名残はある)。
こんなこじれたボクを受け入れてくれたんだから大したもんだと思う。
当たり前とも違うし、無視でもない。そっけなくもないし、慣れているという感じでもない。ああそういう人なんだねという空気で迎え入れてくれた。
一年がたった。一年経っても、ボクはHIVだし、薬物依存症も治っていない。ゲイであり、前科もちのままだ。手札は何も変わらない。だけどジョーカーで相手を試すようなことは少なくなった気がする。ここではジョーカーは忌み嫌われない。晒したジョーカーを避けもせず、かといって引きもしない。そのまま抱きしめられた気分って言ったらいいのかもしれない。受け入れられた経験があったから拘らなくなったんだろう。大事なもののありかが変わった。つまりは美学の変化。
恩返ししたいと思っていたのに恩がまた増えてしまった。倍返しだ。
今日も雨。雨だけどボクの中のマグマは健在だ。ボランティア...楽しいと言ったら違うんだけど、面白い。誰かのためだけど誰かのためだけじゃない。自分のことを「なかなかやるじゃないか」と真っ直ぐストレートに認めてあげれる心地よさ。
繰り返すけど大したもんだと思います「ぷれいす東京」。今日もよろしくお願いします。