ある依存症者の終わらせたい日記

人生の大事なことは覚せい剤が全部教えてくれた。HIV×ゲイ×依存症×前科⇒精神保健福祉士のライセンス失効⇒最近復権。君子豹変して絶対に幸せになる。

焼け石に夜回り

 路上で生活している人たちの為に何かできないかと、月に一度夜回りをやっている。東京はその度に違う顔を見せる。

 ホームレス支援のボランティアの中でも夜回りは人気である。やってあげてる感がみたされるからなのかもしれない。

 路上で寝ている人へかける言葉がわからないボクは彼らに対して名前も所属も名乗らない。もちろんこちらからたずねたりもしない。「バイタルをはかる」「生活保護をすすめる」いろいろ手札はあるがみせない。「こんばんはー。夜回りでーす」と挨拶しながら距離をつめる。天気の話題程度のノリで体調を確認し、気休めの食料と路上脱出生活SOSガイドと名付けられた冊子を差し出す。黙って受け取ってくれると安心する。過去をなくし、未来をなくし、言葉をなくし、目の前の今だけに自分を横たわらせて生きている。明日を迎えるのに重荷になるようなものは渡せない。「ありがとう」も「どういたしまして」もない関係。今日と明日をつなぐ以外の縛りはここにはいらない。ぎりぎりで踏ん張って持ちこたえている人に「もう頑張んなくてもいいですよ」なんて言えるはずもない。

 何かができる。何かをしてあげよう。普段は巧妙に隠してある自身の高慢なおごりを夜回りは炙り出し、そして冷ます。ソーシャルワークの関係だけで信頼関係なんてあったもんじゃないよな。

 ボクらに気づいて笑うおじさんの目は差し入れの食材なんか一切見ていなかった。高速道路の下、轟音に負けることなく、とりとめもなく、終わりなく、楽しそうに政治家の悪口を続けるおじさんに「じゃ!今夜は」ってサヨナラを切り出せない。話せば話すほど、どこからが必要な支援で、必要のない支援はなんなのか。あいまいになっていく境界線。それは諦めなのか。それとも覚悟なのか。はたまた運命なのか。わからない。わかりたい。

 路上で生活している人たちの生き様を受け入れたい気持ちと路上生活者を生み出す社会を許せない気持ちの共存。誰かのために「もう寒い冬なんか来なくていい」と願うのははじめてかもしれない。

 今夜出会えた路上生活者はいつもより少ない。多くても少なくてもその事実をどう受け止めて良いかいつもわからない。オリンピック開催の影響でホームレスの人たちの数自体はずいぶん減ってきているらしい。数年後には生活困窮者は東京から締め出されるという物騒なうわさもまことしやかに流れている。きれいに舗装され頑丈に目張りされた夜の公園。光を当て、陰に暮らす人たちの居場所を奪う問答無用な感じに違和感をもてる自分に少し安心する。

 路上で生活をしている人からは教わることしかない。支援をいう形でお返しさせてもらいたい。学ぼうとする力が福祉の仕事の原動力だと夜回りのたびに確信する。

 

f:id:ultrakidz:20200926123035j:image

ホームレス支援にはリュックが必須。