ある依存症者の終わらせたい日記

人生の大事なことは覚せい剤が全部教えてくれた。HIV×ゲイ×依存症×前科⇒精神保健福祉士のライセンス失効⇒最近復権。君子豹変して絶対に幸せになる。

幻の諭吉たち

刑務所にいたときに、ココカラファインのレジ袋に県民共済のちらしを入れていくという作業があった。独房でひとりきり黙々と封入していく。作業自体は単純でなにも難しいことはない。自我を捨てサクサクやればいいだけの話だ。だけどこの作業が苦手だった。感情がどうしても捨てられない。なぜならばボクにとって県民共済は因縁の保険だからだ。
けっこう長い期間県民共済に入っていたんだが、逮捕されて収監されることがわかった瞬間(なるべく出費は抑えなければいけないと思い)速攻解約した。解約した直後にHIVの感染がわかった。あーあ。作業の合間に約款を見てみると自分の障害等級ならば200万円…その金額がいやがおうでも頭に浮かんでしまう。そこから、お金にまつわるあれやこれやがループし始める。懲戒免職で十年以上働いた数百万の退職金がパーになったこと。CD4が100なかったあの時期に収監されずに障害厚生年金を申請していたら毎月十万以上の給付がもらえていたこと。障害者手帳も一級だった可能性もあったこと。そうなったら医療費の自己負担も無料になる生活になってたであろうこと。後悔後悔後悔。無知は罪とはいうけれど、知らなきゃよかったとソーシャルワーカーとしての社会資源の知識を恨んだ。そんな風に一日中お金に執着する自分の銭ゲバっぷりに疲れてしまうのでこのちらし入れの作業はつらかった。
出所したあと、更生保護施設に入所したんだが、そこのソーシャルワーカーさんに「あなたは一度ほんとうのお金の苦労をした方がいいと思います」って言われた。たしかにそれまでの人生でお金に苦労したことがなかった。キャリアと経験を鑑みても稼いでいた方だと思う。反動で今は人生で一番の極貧かもしれない。人生ってよくできている。まあそれでも失業給付金に支えられたギリギリの生活だってそんなに悪くないと思っている。チョコレート一枚を買うのにも値段と味を逡巡しつくして選んだり、少し遠まわりになっても都営パスを使って少しでも安くあげれるルートを探したりだとか、そういう暮らしを結構楽しんでいる。今の自分に本当に必要なものなのかというフィルターをかけてから財布に手をかける。悪くない習慣だ。楽しめる苦労は本当の苦労ではないのかもしれないがそんな毎日だ。
金が全てじゃないなんてきれいには言えないわ♫ってホントだよね。まだたまにあの日手に入ったはずの幻の諭吉を夢見るときもある。けどお金はそんなになくてもいんじゃないかとも同時に思えている。不思議なもんだなあ。宵越しの金はもたねえぜって言い切れるほど江戸っ子気質はないけれど、体力と財力はゼロで死ぬのが目標だ。

 

 

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お金じゃないってちょっと思ったり思わなかったり