ある依存症者の終わらせたい日記

人生の大事なことは覚せい剤が全部教えてくれた。HIV×ゲイ×依存症×前科⇒精神保健福祉士のライセンス失効⇒最近復権。君子豹変して絶対に幸せになる。

回復

無期懲役のその人はいつも少し透けていた。うすーくなって奥の景色が透けて見えた。刑務所での収監生活が何十年も続くとこんな風になるんだなあと感心した。役割が一つしかないせいなんだと思う。人が健康に人間らしく暮らしていくには3つのコミュニティを持つ必要があるらしい。家族も友達もいない彼には囚人という役割しかない。だからあんな風になんだか中途半端な透明人間みたいになってしまったんだろうなあ。
他人事ではない。今のボクも似たようなもんだ。仕事をせずに薬物依存症のリハビリにだけせっせと通う毎日。生きてはいるけど生活はしていない。居心地よすぎて最近少し色白だ。

今回の離脱プログラムのテーマは「回復」だった。回復は「緊張期」から「ハネムーン期」、そして「壁期」を経て「適応期」へと進んでいくらしい。それぞれに課題と対処法が書かれてある。ボクにとっては生きづらさへの対処法がクスリだったので、そのクスリへの対処法をって言われると混乱しそうになるが、頭でっかちにならないでおくことも大事なんだろう。

きっとボクはいま「壁期」にいる。壁期の特徴は「退屈さ」であり、対処法はのんべんだらりとするんじゃなく「活動的に」薬物なしの時間をすごしたらいいと書かれてある。「活動的な生活」か…すこし怖い。今の薬物依存症者という役割だけの暮らしだったら、再使用は一大事でなんとしても避けなければいけない命題である。スリップした場合のショックは甚大であろうから命懸けで回避しようとする。それが活動的な生活になり、仕事なんかをはじめ、新たな役割が手に入れば、再使用への恐怖感が薄まってしまう。アディクトでない役割の自分がアディクトの自分を甘やかし赦すからだ。
まあだからといってずっとこのままでいいわけじゃないこともわかっている。いや、このままでいるという選択肢もあるのだろうがボクはそれを選びたくないし選ぶつもりもない。時期を見て次のステージを目指さないとなあ。
最終段階の「適応期」になったって渇望がなくなるとは書いてない。渇望への対峙の仕方が変わるだけだ。結局しばらくはずっと壁期なんだと思う。まあいいさミスチルだって「高ければ高い壁の方が登った時気持ちいもんな」って歌ってるし。あー...回復って終わりなき旅だぜ。

ボクはまだ第一期のアディクトなんだと思う。回復を考える時には回復のイメージをきちんともっていることが大事だ。三つのコミュニティに所属してもなおシラフの生活が続けることのできる第二期のアディクトが回復の理想形なんだろう。まずは三つのコミュニティを探そう。そういう風に考えると回復も楽しみに思える。少し線が薄くなってしまっている自分ならではの輪郭をそんなこんなで少しずつとりもどしていきたい。

 

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