NAセクマイOSM
本気を出せばもっとタフになれる。そんな風に粋がっていた。だが現実は厳しい。一人でたどり着ける場所には限界がある。
いつまでも悶々と解けずに諦めかけていた哲学が誰かの話す誰かの物語で、すっと溶けてしまう。そんな体験が今日できた。
「依存症支援って再使用ありきで考えないといけないんですかね?」って悩んでたあのソーシャルワーカーに、あの時うまく答えれなかったけど伝えてあげたい。わかったよって。依存症支援って断薬が目的なんじゃないんだって。完治がゴールじゃない。治っても治らなくてもその人らしさ。その人らしさに優越はない。治りが遅いって人と比べることは病気の本質からずれちゃうからよくないよって。得手不得手全て受け入れてこその貴方。
五人のスピーカーの誰が一番回復してるかなんて誰もわからないし、そもそもそこに誰も重きをおいてない。自分の病気と自分の人生に区別がない。回復の話であり人生の話、まさに生き様だ。生き様を回復させるって無理でしょう?生き方にいい悪いはあっても、生き様にはない。そこにあるのはらしさだけ。
賢い先人のいう「症状は一つの表現形態。病気とは身体を自分自身で作っていく活動、自己変革、回復そのものを含んでいる」という言葉の意味が今やっと理解できた気がする。
ありがとう。今日また僕はひとつ賢くなりました。