自分を危険に晒すもの
ギリギリでいつも生きていたい...わけではないけれど、現実問題いつも崖っぷちという事実。
「新宿のトイレで拳大のゴロを拾ったことがある」そんな話を聞けば、わざわざそのトイレに行ったり。徳川埋蔵金を決して疑わなかったかつての糸井重里のように。
NAの会場が大久保だったら、用もないのに歌舞伎町を通ったり。もちろんパケが落ちてないか下を向いて。
ダルクの帰り、帰路一筋奥のハッテン場の前を自転車のスピードを落として西日暮里なう。ばったりキメ友との遭遇を期待して。
万が一にかける。ワクワクする。
熱烈なファン心理。もう信者に近い。
無意識にクスリに近い場面に自分から近づいてしまう。もう意志云々の問題ではない。
自分を危険に晒すものってオレの場合「自分」なんだよなあ。
一回目はネットに書き込んでガサが入りアウト。二回目と三回目はハッテン場を出たところを職質されて確保。アゲてるときは、ネットと外出は禁忌だと学んだはずなのに今回のスリップでも同じことを繰り返す。知ってはいるけど、わかってはいないってこういうことをいうんだと思う。
ハッテン場って、キメてるやつばっかじゃない。けどキメてるやつは必ずいる。そして一度でもキメたことのあるやつはキメてるやつがわかる。否が応でも引き寄せ合う。集う。持ってないっていうからシェアしてあげる。宵越しのクスリは持たない主義なので太っ腹に振る舞う。ラブ&ピース!
それなりに楽しんで、今回のフライトは無事着陸かなって思ってたら、意外などんでん返し。数日後、あるNAの会場で誰かがスリップをカミングアウト。ふりだしの証、白いキータグをもらっている。どこかでみた顔。どこかで聞いた話。「!」。あんときのやつじゃん。
「薬物犯罪では直接の被害者はいない」。この文句を盾に刑務所でも、詐欺や暴行なんかで来てるやつと自分は違うと自分を慰めていた。
だけどもだけど、止めようとしている人をオレ誘ってスリップさせちゃってるじゃん。まんま加害者。回ってきた白タグに素直にアイムソーリーを込める。
クスリを使ったセックスを誰かとする限り自分はこれからも加害者になりえてしまう。これはとても恐ろしい。自分だけを危険に晒すんじゃなくて、オレの存在が誰かの毒になってしまう。価値観がぐらつく。
自分を大事にしたい。誰も傷つけたくない。どうしていいかわからない。スリップしたくない。けどスリップしたい。あー、どっかにオレを縛りつけてくれないか。