ノンタイトリスト
咳がどうしても止まらない。熱は解熱剤のおかげで35度台をキープしているが、まだ咳が止まらない。ぷちコロナと勝手に自己診断したんけれど多分実際はただの肺炎。このプロセス、去年の秋にやった肺炎のときと全く同じだし。半年で二回も肺炎ってやっぱ人より免疫低いだけのことはある。マスクも残り少ないし、今電車で咳こもうなら非国民の目で見られそうで外出は極力ひかえるようにしている。
ダルク、NAのミーティングにも一週間以上行っていない。テレビは基本つけないので外の世界とはかろうじてネットを通じてつながっている。Twitterからは反体制の方々からの情報がばんばん入ってきて、僕の中ではもう後戻りできないほどぐちゃぐちゃになってしまっている日本。せまい部屋でひとり世界の終わり気分に浸っている。(こういうの好きなんです)。
時間だけはあるし(時間しかないともいえるが)Netflixにはまる。いまさらながら「エバンゲリオン」を全話一気見しました。あの手この手を使ってシンジ君をみんなでいじめて楽しんでますね。そして、これまたシンジ君がいい声で哭くんだ。クライマクッス、アスカがシンジ君に言い放つ言葉が耳に残る。
「他人のために頑張ってるんだって思うこと自体、楽な生き方してるっていうのよ」。
…どうして響いたんだろう。
たまにだけど名刺をもらう機会がある。だけど今の自分には返せる名刺がない。肩書がないんだ。仕事をしていた時は職場の名刺、刑務所に入っていた時は囚人という役割、ダルクやNAに通っていれば、障害者という肩書が手に入る。今は通えていないのでそれすら名乗れない。役割があると楽だ。役割通り立ち振る舞えばいいんだから。受刑者だから懲役にいそしむ。障害者だからリハビリを頑張る。ゲイだから奔放に遊ぶ。
ダルクにしばらく顔をみせていないのでスリップしたと思われてやしないか、そんな風に考えるとなんかすべてが億劫になる。(まずはダルクになじんでから言えよって話だろうが)。とにかく誰かずっとシラフだったってことを証明してはくれまいか。
僕はどうして覚せい剤をやめてるんだろう。
誰かのため?役割として?クスリをやめる努力をするとみんなが安心するから?安心してもらった方が自分が楽に生きれるから?誰かのために生き、自分が迷う。
「自分のためでしょう」。アスカの声が重なる。自分がやってないことを知ってるんだったらそれでいいじゃないか。
「あなたは誰なの?」と問われたら、ちょっと背筋を伸ばしてまっすぐに自分の名前を言うしかない。自分ってこんなです。自分が名刺代わりだ。大昔、テレビの歌番組に登場したキョンキョンがカメラに向かって「わたしです」って自己紹介したときのあのカッコよさをイメージして。具体的に何ができる?まずはブログとTwitterのアイコンに少し顔を出してみた。
自分のために生きる。それが自分を大切にするということ。結果それが誰かの救いになる。だけどそれはあくまでも理想。自分だけで学び落とさなければ気づけないこともある。引きこもらないと見えない世界もある。名前を失い、行くべき道が手に入る。