ある依存症者の終わらせたい日記

人生の大事なことは覚せい剤が全部教えてくれた。HIV×ゲイ×依存症×前科⇒精神保健福祉士のライセンス失効⇒最近復権。君子豹変して絶対に幸せになる。

変態しました

小学四年のとき恋をした。相手は男の子だった。好きになったはいいけど...。恋愛感情は確かにここにあるけれど、その処理の仕方がわからない。同性との恋愛のお手本がどこにもなかったからだ。どうして世の中いつも男と女の物語ばっかなんだろう。テレビのドラマを見ても、小説を読んでも男と女のセットアップばかり。自分はどこにもモデルのない人生を歩いていかなければいけないんだと小学生ながらに学んだ。

以来しばらく(具体的には今回捕まるまでの三十年近く)、身近な誰にもカミングアウトせずに生きてきた。職場ではそれなりに高いポジションだったけど隠していた。それは覚せい剤の使用や逮捕歴よりもずっともっと用心深いものだった。社会への適応が何よりも最優先だった。涙ぐましい努力のかいあって、自分が捕まった時は「女子との未成年淫行」だと職場ではうわさが立つほどだったらしい。ゲイ仲間とクスリ使っての逮捕だったのに。

隠す理由?それは恐怖だと思う。ホモだとかオカマだとか揶揄され、からかわれるのが怖かった。何とかしてバレないように日々巧妙に取りつくろった。隠すのがうまくなればなるほど、周りのゲイへの嘲笑にさらに敏感になり、社会はどんどん怖い場所になっていった。
はじめて男性と性行為をしたとき、救われた気がした。ぼんやりした人生がクリアにみえた。はまった。やりまくった。今でも眠れない夜には羊でなくこれまでやったことのある相手を一から思い出していくとうまく眠れる。そんな途方もない感じで、どこに出しても恥ずかしくない立派な変態になった。自分らしさを封印した隠れキリシタンのような生活のなかで、自分のセクシャルアイデンティティを確認できるのはハッテン場やゆきずりのセックスだけ。刹那的な性行為だけが日ごろのうっ憤を開放できる場だった。おおげさでなく「生」を感じる瞬間だった。許されたと思えた。この時間を楽しむためだったらどんなことでもできた。クスリだってためらわなかった。自分の本心へ自分自身を適応させる努力を怠った反動(代償?)は思いの外大きかったらしい。

ストレスや葛藤を生む人間関係や生きづらさをもつ者はクスリ(の薬理作用)を求めやすく、その使用時の刺激はそうでない人に比べ大きいとわれる。風邪の症状がある人に風邪薬は効くけれど、健康体の人が風邪薬を飲んでもなんてことないと同じ原理だ。ボクにとって覚せい剤は生きるための気つけ薬だった。抑圧が大きければ大きいだけ覚せい剤の作用も大きくなるってことなら、クローゼットゲイは何十年もかけて薬の効果を最大限享受する準備をしてきたとも言えよう。

「クローゼットゲイ×性行為×覚せい剤⇒爆発的な快感∞」ポン中ゲイの完成方程式。

…こんな分析なんになる。分析するんだったら行動に活かせる分析でありたい。やっぱり隠して生きてきたってのが生きづらさの根っこにあるんじゃないかなあ。今回、逮捕のどさくさにまぎれて何もかもぶっちゃけることができたのは不幸中の幸いなのかもしれない。

モデルがないなら自分がモデルになればいい。どんな姿だってないよりはいいだろう。次の世代が歩きやすいように道ならししてあげたいなあと今は思う。おー、なんかひらけた気がする。すーっと靄が解けた感じ。「自分のために隠す」はしんどいが、「誰かのためにさらす」これは気持ちいい。こころの生傷のかさぶたがうまくはがれた新鮮な気持ちよさ。今度はうまくいく気がする。こんな風に思えたことに感動する。学ぶことで人は変わるんだ。

 

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