ある依存症者の終わらせたい日記

人生の大事なことは覚せい剤が全部教えてくれた。HIV×ゲイ×依存症×前科⇒精神保健福祉士のライセンス失効⇒最近復権。君子豹変して絶対に幸せになる。

感謝

自分は「ありがとう」を巧みに使えるスキルを持っている(と思っている)。

「ありがとう」には中毒性がある。

誰かへの「ありがとう」であっても、その「ありがとう」は、もれなく言った自分も気持ち良くしてくれる。

だからどんどん多用してしまう。

多用するうちにどんどん上手くなる。

多用するうちにどんどん気持ちが薄れる。

気を抜くと誰かへの「ありがとう」がすぐに自分のための「ありがとう」にすげ変わる。

ご苦労ご苦労苦しゅうない的ありがとう。

(ちなみに「ごめんなさい」と「よろしくお願いします」も似たような中毒性がある。刑務所から書く手紙では、この三つの言葉に本当にお世話になった。この三つの言葉さえあればどうにかなった。)

いつからだろう「ありがとう」が純粋な感謝の表現ではなく、処世術になったのは。


感謝は、自分の身に起こる「快」に気づかなければ覚えることのできない観念だ。

「ありがとう」を連呼できる環境にいるということは「快」が身近にあふれている証。それは幸せなことである。

「ありがとう」=「幸せ」

実にシンプルで覚えやすいではないか。