感謝
自分は「ありがとう」を巧みに使えるスキルを持っている(と思っている)。
「ありがとう」には中毒性がある。
誰かへの「ありがとう」であっても、その「ありがとう」は、もれなく言った自分も気持ち良くしてくれる。
だからどんどん多用してしまう。
多用するうちにどんどん上手くなる。
多用するうちにどんどん気持ちが薄れる。
気を抜くと誰かへの「ありがとう」がすぐに自分のための「ありがとう」にすげ変わる。
ご苦労ご苦労苦しゅうない的ありがとう。
(ちなみに「ごめんなさい」と「よろしくお願いします」も似たような中毒性がある。刑務所から書く手紙では、この三つの言葉に本当にお世話になった。この三つの言葉さえあればどうにかなった。)
いつからだろう「ありがとう」が純粋な感謝の表現ではなく、処世術になったのは。
感謝は、自分の身に起こる「快」に気づかなければ覚えることのできない観念だ。
「ありがとう」を連呼できる環境にいるということは「快」が身近にあふれている証。それは幸せなことである。
「ありがとう」=「幸せ」
実にシンプルで覚えやすいではないか。