世の中の大切なことは覚せい剤が全部教えてくれた
覚せい剤について考えることは自分の生きる意味について対峙することに近い。
生きることを知るにはうってつけの命題である。
三年前から日記をつけているが三年前に書いていたことを読み返すと物事の理解が何とも上っ面だけをなぞったぺらぺらなものであることに赤面してしまう。日記なんて恥ずかしいだけだ。それでも書いててよかったなあと思うのは「あの頃の比べたら」という気づきがあることだ。
同じ「わからない」でもひとすくい深い部分での「わからない」になっている(といいなあ)。もう若い頃のように向こう見ずな進み方はできない。ぐるっと一周回って少しだけ深まる。大人になってからの成長ってそんな感じなんだろう。
色々なことが見えて来るようになってきて、色々なことが見えていなかったことをしみじみ理解する。そして、そんな浅はかな自分を可愛く思たりできると少し生きやすくなる。未来の自分のために恥ずかしくても(めんどくさくても)今日の自分を書き残そう。