Bくんへ勝手にシンクロバット
一橋大学アウティング事件の件について今考えるのはもうやめておこうと思ったんだが、Bくんのことをあと少しだけ。
裁判に関係する資料からBくんの心情をすべて理解することはできない。裁判での証言はどっちつかずな主張は許されず、極端な表現(もしかしたら被害者感情を逆なでしかねないような身勝手な主張)になってしまうからだ。反省を口にしたくてもできない場合もある。自分の覚せい剤の裁判のとき、覚せい剤の使用の意志について「使いたい気持ちが全くなかったとは言い切れない」というのが本心だったが、それだと意志があると解釈されるため、弁護士の先生からNGがだされた。結果「自ら覚せい剤を使用する意志はありませんでした」ときっぱり断言したものになった。大体、ひとつの行動に対してひとつの思いしか抱かないことなんてあるのか?そんなのスポコン漫画の主人公くらいだろう。現実にはそんなことはありえないだろうに、こと裁判においてはこの曖昧さや考慮されない。
Bくんの気持ちは裁判から理解しきることはできない。ただBくんは生きている。未来がある。学べる。笑える。幸せになれる。誰かを幸せにできる。可能性だらけだ。
こんな風にあるゲイの男が日曜の深夜、Bくんあなたのことを考えている。気持ち悪がらないでいてもらえれば嬉しいなあ。