ある依存症者の終わらせたい日記

人生の大事なことは覚せい剤が全部教えてくれた。HIV×ゲイ×依存症×前科⇒精神保健福祉士のライセンス失効⇒最近復権。君子豹変して絶対に幸せになる。

雇用主への手紙 その13

拝啓 まだ今日も府中刑務所はあたり一面銀世界です。
ぱりっとした雪景色にぴりっ冷たい風。真冬ですね。
年末は暮れのあわただしい中、面会にきていただきありがとうございました。
手紙も差し入れ本もありがとうございます。
また仕事の件、受け入れてもらえるとのこと、いろいろ立ちまわっていただいたことにも感謝しています。改めてありがとうごまします。
面会で具体的な見通しを話してもらえたおかげで、部屋にもどってからどうしようもない疾走感がむらむら沸き立ち、かといって衝動は行き場もなく、ぷすぷす頭から湯気をたたせてました。

さて遅れましたが、あけましておめでとうございます。
続いて誕生日もおめでとうございます。もう去年から一年がたったんですね。
先生はボクの印象では館山で初めてお会いしたころよりもこの前の面会のときの方が若くなったような気がします。来年はアクリルボード越しでなくお祝いを伝えたいものです。
続いて昇進おめでとうございます。大学のヒエラルキーにおけるサバイブなんかはもうフィクションのドラマでして...想像もつかないような苦労や努力があったはずだと。
具体的な目標をもってそれをみすえて仕事にとりくむ、そしてそれを実現する姿にあこがれます。これからも心置きなく先生の権威にどっぷり頼り甘えていく所存です。

さてさて両親への手紙それに贈り物へとありがとうございます。(しつこくてすみませんっていったほうがいいのかもしれませんが)。
なかなか両親との意思疎通というのはうまくいかないところがあるものでして、先生のもとへいつまでもおしつけがましく送り続けられるお歳暮なんかがその顕著なものです。先生も手紙に書かれてあった通り、ボクの両親もテレビで芸能人が薬物事件で報道されるたびフラッシュバックしたように怒り悲しみ苦しんでいます。そしてボクはまたふりだしにもどった気分で償いの手紙を書きます。
救われないのは手紙では気持ちが伝わらないことです。使う言葉が重ならないんですよね。例えば、薬物依存に対しても両親は「打ち勝つ」「立ち直る」「やり遂げる」「強い信念」といった熱量のパッションの強い言葉を好んで使い、それに対してボクは「そらす」とか「いなす」とか「逃げ切る」とかいうニュアンスの言葉を選びがちです。もちろんそんな態度を親は気に入らずどうしてもっと本気で真剣に立ち向かわないなかと嘆きます。嘆くだけならまだしも自分たちの愛情が足りないからだと自分たちを責めてしまうんです。目指すところは同じなハズなのにどうして…と小さく絶望してしまいます。
言葉の好みの違いは人間関係に大きく影響を与えるもんなんですね。
最近わかりかけてきたこと。わかりあうことは決してないんじゃないかということ。それでもつながり続けなければいけないものが家族なんじゃないかという気になっています。
みうらじゅんが「親孝行プレイ」というのをすすめていて、それは、「自分は親孝行をやる劇団の役者なんだ」と自分に言い聞かせてふるまうと案外親からは喜ばれるらしいです。ちょっとためしてみようかなあって思ってます。
正直という言葉を額面通りにとらえすぎて人を傷つけてしまっていたなあと。本当の正直者ってのは自由にあけっぴろげでいることでなくて、相手に対してあるべき自分で生きることができる人なんだという気がしています。そう考えるとごちゃごちゃもつれた糸がすーっとほぐれていきます。
まあ自分の親も安心させることができなくて、他人を安心させるPSWなんかできないともいえますし、もう一度ソーシャルワーカーになるためにもあきらめず親孝行に精進していくつもりです。

去年の冬は極寒の八王子。今年は隅々まで暖気の行きとどいた部屋の中。自然とともに生きた野生の哺乳類ヒト科から新種の生物文明人へ。君子豹変とはよくいったもので環境が変化するだけで人は進化できるようです。次はどうなることやら。新しい自分になって微力ながらお手伝いできたらと。
いつもいつもありがとうございます。
先生にとって、先生のご家族にとって、幸せな一年でありますように。
寒い日が続きます。お体に気を付けてください。
              敬具

 

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