ディープインパクト
自分という存在の生きながらの解体作業。今の日本社会でHIVになるということはそういうことだ。大袈裟ではない。実際にそういう日々がしばらく続いた。確かなるディープインパクト。
だが人は強い。時間を味方につけた者は最強だ。回復の名の下、バラバラの破片をほっちらほっちらひとり拾い上げ、組み立て、治す。新しい自分の出来は(元通りを目指すという指針でみれば)そう悪くない。以前とほぼ変わりなく仕上がった。だが「似ている」と「同じ」は別物だ。以前とは微妙に、だけど決定的に違う歪みがそこには存在する。
例えばコロナについて。このご時世、コロナを嫌がり避けるのは常識だ。しかし、ボクの態度は彼らのそれに比べて鈍感すぎる。いや、無関心という方が近いだろう。もちろんマスクもするし、うがい手洗い感染対策には抜かりはないつもりだ。けれどそこには、後ろ指をさされないためのパフォーマンスではないとは言い切れない自分が確かにいる。ズレちゃってるなあ。心底本心でコロナを恐れることのデきないズレてしまった自分がいる。
感染症の王様とも呼べるHIVから生還した成功体験がボクにもたらしたもの。どうにかなるんじゃないかシンドローム。HIVから日常を取り戻した物語の結末には、正しい痛み、恐れを失った男が生まれてしまった。痛みのない者は何かにつけて危うい。だけど長生きはしたい。長生きがしたいんだなあ。パフォーマンスでもかまやしない。せいぜいおそるおそる生きていこうと思う。