スマホを置いてドトールへ行こう
仕事をはじめて約一か月。当たり前なんだができない事ばかり。その当たり前を当たり前と受け止めきれずに自尊心を消耗し続けてひとり疲れている。これだけ消耗してもなくならない自尊心に自分でも驚きだなんが、とにかくナルシズムに浸る時間が今のボクには必要だ。
久しぶりの連休に仕事帰りに買った本と図書館で借りて来た本を二冊バッグにいれて、目白駅前のドトールに向かう。ついさわってしまうスマホは部屋に置いておく。スタバだと自意識が刺激されて居心地がよくない。ドトールくらいがちょうどいい。ソーシャルディスタンスのおかげ(?)で隣の席が確実に空いてんのもちょうどいい。目白駅前のドトールの二階のカウンターがお気に入りだ。動きのある(できれば人の顔がわかるくらいの)景色が読書にはちょうどいい。いつかそんな部屋に住みたいなあと思っている。
日曜午後、目白通りを走る車たちは一度もクラクションをボクに聞かせることはなかった。すぐ下の停留所にとまった都営バスに間違って中扉から入ろうとしている外人さんを連れが引き止めている。あぁこれ自分も昔やって恥かいたなあ。どうでもいい景色。どうでもいい記憶。どうでもいい暇な時間をとことん無駄に過ごすことが明日へのやる気を養う。
一冊はゲイが主人公の小説だった。ハッテン場の描写にあるあると頷きながら自分だったどんな風に描くだろうなあって想像したりして...。
ハッテン場は鮮度がものをいう。入って最初の30分が勝負だ。ナウシカの腐海に入る覚悟で挑む。入店当初はキラキラした粒子をまとって輝いていてもすぐに暗闇に浸食され馴染んでしまいバイオハザードのゾンビになる。暗闇で横から不意にあらわれるゾンビは本当に怖い。心臓が止まるくらい驚く(ここだけでは絶対に死ねないので必死で持ち堪えるが)。勃つモノものも勃たない。ゾンビになってしまうと蹴られても文句は言えない。蹴られるのは痛いし嫌だ。ハッテン場は時間と戦うゲイの人生の縮図だ。擬似体験の場なのかもしれない。みんな血眼で命がけで悲しい...
何かを表現するのに140文字以上もたない。息も絶え絶えな文章になってしまう。3分以上戦えない文系のウルトラマンみたい。ツイッターの毒は深刻だ。
数時間をコーヒー一杯(224円)で過ごせるのもちょうどいい。二冊とも読み切らず最後の一歩手前でやめておく。ナルシズムは家まで持って帰りたいタイプなんです。
明日は年下の友達とメシの予定。いつかその子とキメセクするような気がする。期待ではない。もちろん予感でも想像でもなくただふっとよぎっただけ。こんなおだやかな日曜の午後なのに…まあ思ってしまうもんは仕方ない。さあ、そろそろ家に帰ろう。
千葉雅也のデッドライン...世代も舞台も近すぎてリアルすぎて逆に嵌まりにくい。いつか彼の描くノンケ作品を読んでみたい。