ある依存症者の終わらせたい日記

人生の大事なことは覚せい剤が全部教えてくれた。HIV×ゲイ×依存症×前科⇒精神保健福祉士のライセンス失効⇒最近復権。君子豹変して絶対に幸せになる。

ボクは刑務所がきらいだ

たぶん性格は明るいんだと思う。嫌なことがあっても次の日まで引きずるようなことはほとんどない。前向きだよねとよく言われるし、自分でもそうだと思う。そんなボクがいつまでも引きずったまま、どうしても負の感情を払拭できない記憶がある。それは刑務所での収監生活。ここでの文章はポジショントーク以外の何物でもないことはわかっている。だけどどうせ忘れられないんだったらと書くことにする。
いろいろしんどいことはあったけど、刑務所はしんどい思いをするための場所だということはわかっていたのであまんじる覚悟はあった。それでもこれはどうなのかという仕打ちもあった。特にセクシャリティに関するハラスメント…。
刑務官にそんなつもりはないのかもしれないが、刑務所でなければ訴えられるであろうというようなやりとりが日常茶飯事だった。LGBTへの揶揄、囃し立て、からかい…思うのは自由だが言ってしまうのかそれを?もうちょっとためらいってものがあってもいいのだろう。そんな風にいつも思っていた。
基本、ゲイだと単独室処遇になり、他の受刑者との日常接触は制限されるが、ごくたまに時間の都合で入浴が一緒になることがある。ゲイの受刑者二人で浴槽に浸かっていると「お前らは入浴中は両手を挙げろ」って…はじめは何をいわれているのかわからなかった。湯船の中で悪さをするんじゃないかと思われていたらしい。ジョークかと思ったがどうもそうではないっぽい。全裸だと人は無力になる。服を着ている相手を前にすると特にだ。従順に手を挙げておいた。とても悔しかった。悔しかったから次の混合入浴のとき、刑務官が目を離したすきを狙って当時(刑務所内で)付き合っていた相手のモノを咥えてみた。一矢報いた充実感。
話を戻すが、トランスの方とも入浴が一緒になることがある。その人は必死に抵抗して個浴にしてほしいと訴えていたが「男と一緒に入れて嬉しいだろう」って一蹴。ほんと刑務官って言うことが下世話なオヤジだ。
そのことをそのトランスの方は後日運動中に笑い話にしてみんなに話題提供する。人は怒っても泣いても仕方ないことを笑いにかえる。笑いたくて笑っているんじゃなくて、笑うしかなくて笑っている。悲しい笑いだ。その笑いに違和感をおぼえても誰も(自分自身でさえも)口にできず、違和感はなかったことになってしまう。刑務所だから特別というわけではないけれど…。
そういう負のエピソードの積み重ねで刑務所の思い出を出来上げてしまった。だからホリエモンが検察を全否定する気持ちがすごくわかる。ボクも未だに法務省関係者に対しては一切こころをひらけない。ノーモア法務省保護観察所の福祉職の方に対しても迎合してなるものかという意思がある。なんだかなあ。
「刑務所だから特に気にかけてもらいたいという気持ちもある。おかしいことをおかしいと言いにくい(言えない)場所なんだから」。こんな風にいつもだったら思慮深く言葉を選び選び、嫌な過去もこれからの期待に変えれるんだが、そういう気持ちすら一切ない。刑務所はボクにとっては絶対的負の存在であるというゆるぎなさ。そこがすごくさみしい。

 

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刑務所で書いたラブレター(再現)は刑務所にいるうちしか効力がないらしい。つき合えたけど出たらうまくいかなくなりました。