RUSH裁判を傍聴してきた
官公庁エリアに入ったってことは景色から色が少なくなるのと、直線でできた大きな建物が増えてくるのですぐにわかる。裁判所なんてその代表ともいえる。ルールで成り立っていますと建物が主張してくる。おかげで迷わず千葉地裁に来ることができた。
RUSH裁判を傍聴してきた。被告の立場での裁判は何度かあるが、傍聴ってはじめてだ。自分の時は、夏休みシーズンだったせいか学生たちや傍聴マニアと呼ばれる人ですべての傍聴席が埋まっていた。誰一人知らない人たちだった。「見世物じゃなねーんだよ。興味本位で来やがって。見るなら金払え」って神妙な顔の下で毒づいていた。さわるもの皆傷つけかねないギザギザハートだったから。
「たくさんの人が傍聴してくれることで世間がこの裁判に興味を持っていることを裁判官にアピールできるので、ぜひ来てください」というヒデさんの言葉がなければきっと来なかったと思う。大きいなあと思った。
裁判は時間どおりにはじまって、まずは検察側の論告求刑。専門用語ってやつ?日本語なのに何を言ってるのかよくわからない。ただ弁護団側の落ち着いた様子から想定内の話だということはわかる。しばらくきいているとアウトラインはつかめてくる。が、しゃべるしゃべる37分。自分の裁判は5分程度で終わったのに比べると長かった。覚せい剤事犯だったら何人の判決を言い渡せるんだろう。続いて弁護団による最終弁論、最後に被告人陳述と流れた。
RUSHは覚せい剤なんかと違うと強調しすぎることは、覚せい剤をやめようとしている人たちをさらに追いやりかねないということも分かったうえでいうけれど、やっぱりRUSHと覚せい剤は違うと思う。RUSHと覚せい剤どちらも知っているものとしては、正直RUSHごときで前科がつくのはどうかと思ってしまう。覚せい剤が人生をなぎ倒し飲み込んでしまう津波だとすれば、RUSHってそうめん流し程度。おいしいね、楽しいねですむ話。毎日ダルクにもNAのミーティングに参加しているが、RUSHで困ってるなんて聞いたことないし。(RUSHよりアルコールとかタバコの方がどの角度からみても凶悪だろう)。誰一人依存になんない、社会に影響を与えないものをどうしてわざわざ違法薬物に指定すんだろうってのは、この裁判の争点のひとつでもあった。
弁護団は「十分なエビデンスなしにRUSHを指定薬物にしたのはおかしい」と主張する。もちろん検察側は「それは被告人、弁護人の独自の見解である」と切り捨て「プロセスになんら問題ない」と真っ向対立。
信用しようと思うものが、そうであろう情報を集め、信用しようと思わないものが、そうでないだろう情報を集め、その正しさを戦わせる。真実はいくつもある。裁判って難しいなあ。
さみしいのは裁判で争う姿勢を「規範意識が鈍っている」と評価されること。いつだったか病院のプログラムで「とりあえず有罪になっちゃうからやめとこうって話ですかね」ってスタッフの言葉につっかかったことを思い出した。「法律で決まっているんだからそうします」って違うだろう。それって考えることを放棄することだし、すごく危険な態度だと思う。
裁判官の心証を悪くしないように、けれども主張はゆずらない。ここでものをいうのはその人の人間性なんだと最後の陳述をしているヒデさんの背中をみながら思った。
判決は5月8日。そのときボクは何を思うだろう。
直線で描かれる傍聴人待合室からの風景