ある依存症者の終わらせたい日記

人生の大事なことは覚せい剤が全部教えてくれた。HIV×ゲイ×依存症×前科⇒精神保健福祉士のライセンス失効⇒最近復権。君子豹変して絶対に幸せになる。

RUSH裁判に行ってきた その2

RUSH裁判の判決は「懲役一年二カ月、執行猶予三年」だった。
ほとんど覚醒剤事犯と同じである。
覚醒剤とRUSH、どちらも体験したことのある身の上からしたら重すぎるというのが正直な感想だ。(だったら覚醒剤の罰をもっと重くすればいいって言われそうだが...)。どちらも依存性があり、セックスドラッグという共通点はあるが、RUSHはメリハリをきかせたセックスライフのための小道具的存在どまり。あればいいな程度でなければなくてもいい。比べて、覚醒剤をつかった性行為(俗にいうキメセク)は、知ってしまえばもどれない。シラフのセックスが物足りなく思えてしまう。ボクの場合、シラフのセックスができるかどうか未だにわからない。そのくらいの影響力がある。睡眠欲、食欲、性欲にガツンと直撃して生活を狂わす。RUSHにそこまでの刺激はない。セックス以外でRUSHを使っているなんて話聞いたことがない。セックスのときに限って使えるようにコントロールできてるってことからもRUSHの依存性ってその程度のものだと言えるんじゃないんだろうか。
覚醒剤にはまるようなドラッグ大好き人間が「RUSH裁判の有罪はおかしい」と声高に叫んだところで、結局あなたはラッシュが好きだから擁護してんでしょうって言われるだろうってことは百も承知だけど…やっぱりおかしいなあって言いたい。
RUSHも覚醒剤もどちらも好きだが、まあ覚醒剤は全面的に解禁してほしいとは言い切れない...。どんな社会になるか想像するとちょっと怖くなる。アングラでコソコソと、スリップした時のためくらいのものでいいかな。だけど「RUSHは全く問題ない」ってのが超個人的実体験から醸し出された見解だ。

RUSHが国内で手に入らなくなってから個人輸入していたころ、税関対策のため業者にはRUSHの瓶を購入したいと書いて注文をしていた。もし税関が何か言ってきても「ボクはラッシュの瓶のコレクターなんです。瓶だけを注文したのに…困りましたね」っていざというときの言い訳を考えて脱法する気満々だった。結局そういう指摘をされることはなかったんだけど。
こういう風に書くとそこまでさせてしまうんだからやっぱりRUSHには強烈な依存性があるんじゃないのかって突っ込まれそうではあるけど。正しくは「RUSHへの執着はセックスを楽しもうとする欲」であり、薬物依存というよりも性依存に近いものである。
性依存は医療の分野。どんな性行為に倒錯するかは倫理の話。法律の出て来る幕はない。
カミングアウトしていないゲイにとってゲイであることを実感できる手段はセックスしかない。おのずとセックスにこだわるようになってしまう。よりよいセックスのためにはRUSHの輸入のリスクもいとわない。RUSHの問題からはセクシャルマイノリティの生きづらさが見えてくる。

判決は被告が次の一歩を前に進むため背中を押してくれるものであってほしい。しかしながら、いまの日本社会はそうではない。判決自体が罰になり、スティグマ化する。
ボクは刑務所で数年すごしたが、あの高い塀の中と今の生活とをうまく繋げることができない。ましてやあの塀の中に入る前の生活とつなげることなんてもっと難しい。一つの人生なのに三つに分断されている。覚醒剤は生活を狂わすかもしれないが、法の裁きは人生を狂わす。裁判官は情状酌量という言葉を使ったが、それならばよけいにこの裁判では無罪が妥当だと思った。

 

f:id:ultrakidz:20200623164853j:image

この画像がトリガーになるなんてないだろうから載せてみた。