ある依存症者の終わらせたい日記

人生の大事なことは覚せい剤が全部教えてくれた。HIV×ゲイ×依存症×前科⇒精神保健福祉士のライセンス失効⇒最近復権。君子豹変して絶対に幸せになる。

RUSH裁判に行ってきた その1

例えば、助かる見込みがわずかだとして、一か八かの手術に挑むとして、さてどうしよう。最新設備の整った病院のドクター、腕に評判のある人気のドクター…確実に治してくれそうな医者を死に物狂いで探して探して探して、最後の最後に選ぶのは、「うまくいかなくてもこの人でダメなら悔しいけど仕方ない」そう思える相手に託すんじゃないかなあ。覚悟を預けれる相手に執刀してもらいたい。すっきりとした死ぬ気でオペ室に運ばれたい。そんな風に思うんじゃないかと思う。
判決が納得いかないものであったとしてもともに立ちむかったことに価値はある。そんな風にゆだねることのできる弁護士がいい。
RUSH裁判の判決を傍聴してきた。判決を聞きにきたというよりも被告人と弁護団のドラマを見に来たような感じだった。
コロナウイルスの影響で傍聴席の半分以上はメバリがされて座れなくなっている。おかげで遅れてきた関係者の何人かは部屋に入ることができなかった。
宣告のときが来た。まな板の上の鯉。手術も裁判もよく似ている。証言台の前にたって宣告を受ける瞬間。自分が自分のものでなくなってしまう。すこしフラッシュバックを覚えた。部屋中の見えない空気が、被告人と弁護団のこれまでの時間が、ぐるぐると渦巻いて頭上に集中し被告人の中に吸い込まれていくのがみえる。
「主文、被告人を懲役1年2か月に処す。ただし、刑の執行を3年、猶予するものとする」
今日この場所に集まっている者の多くがRUSHで有罪になるのは不当であると信じている。その思いは法律的判断で違うと一蹴される。だけどその絶対的判断に対しても「ぜんぜんわかってもらえてないや」って感覚が残る。たぶんみんなそう思っているんだろう。中学校の時、武道場に座らせられて体育教師からの理不尽な訓告を聞きながら意地でも納得してなるものかと膝をじっと見つめてたあの感じによく似ていた。全くすっきりしない空気感があたり一面に充満していた。エンディングの雰囲気ではない。判決はドラマの終わりを意味しない。いろいろと受け止めきれない感情の中でこれが最後ではないということだけはしっかりと伝わってきた。

 

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