嘘でも本当でもまずは依存症の話をしよう
保護司さんに依存症について色々聞かれる。これまでは薬物事犯者に薬物のことを色々聞くのはあまり良くないと思って気を使ってくれ触れずにいようと心がけていたそうな。そうじゃないってことを色々勉強会なんかで知ったらしい。
専門の医療機関の人たちは依存症患者と接する機会も多く(一般人とはそもそもパイが違う)、専門知識から得る疾病像からその人を理解するというやり方が可能である。
だけど薬物依存者となんて滅多に出会わない(実際は会ってるんだろうけど誰も名乗るはずはない)から、一般人の保護司さんなんかにその方法で理解しろなんて無理な相談だ。じゃーどうすれば?
ありきたりだけど、まずはその人自身を知る努力をするに尽きる。そしてその人に対して感じる違和感みたいなものを見つける。個人の人格と疾病が切っても切りはなせない病いというものもあり、その一つに依存症がある。その人に感じる違和感は病気であるとみなし(違う場合もあるであろうが大概がそうだと思う)、適切な対処方法を学ぶ。それを繰り返し、依存症(その人)を理解する。
地道な作業であるし、ある程度人間というものを知っておかないと薬物依存という言葉の重さ(レッテルとも言い換えられる)に負けてしまうだろう。
そんな風に自分の親と同じ年の保護司さんに説明する。理解しようとしてくれる。信頼関係の種がチラリと見える。
相手にばかり努力を強いるわけにはいかない。僕は聞いてくれる人がもっと前向きに依存症者と関わりたいと思えるような依存症の説明の仕方を学びたい。荒川修作も言っていた。「ファッションか?それはいい!俺は障害者のための服をつくりたい。腕がない人がその服を見たら、俺も腕がなくなりたい!って思うような、そういう服をつくるんだよ」って。依存症になりたいっては言い過ぎだけど、そういう人生も悪くないなあって思ってもらえるような、そんな風に自分の体験から理想を語れるアディクトになりたい。いつか足かせを踏み台に変えたい。
帰りにこれいいですよってラットパークの本をプレゼントした。読んでくれたらいいなあ。