ある依存症者の終わらせたい日記

人生の大事なことは覚せい剤が全部教えてくれた。HIV×ゲイ×依存症×前科⇒精神保健福祉士のライセンス失効⇒最近復権。君子豹変して絶対に幸せになる。

あーオレのせいか

履歴書ってセンチメンタルを誘う。ついつい昔話に浸り前に進めなくなる。

 

かつて就労継続A型の障害者枠で働いていたことがある。一年ほど働いて非常勤雇用になる話が出た。給与も待遇も変わらないとの話であったが、利用者という立場だといろいろとめんどくさいところもあったので自分としてはうれしい話だった。関係者の方々が集まって、自分が非常勤になるにふさわしいかを話し合うことになった。要はケアカンファレンスである。自分が事業所の非常勤になるかどうかを決めるのにどうして関係者が集まるのかよくわからなかったが、そうゆうもんなんだろう。

関係者の方々はやさしかった。ただ、やさしいだけの時間だったかといえばそれは違った。「合理化して真実から目をそらす癖がある」「自分だけでやろうとするフシがある」「自分のセクシャリティや過去の経歴やらをむやみやたらに言わないように」…ありがたいやらなんやら。障害者枠からはなれるって、障害者としての自分の都合を社会にうまく適応させることなんですね。

認めてもらわなければいけないと思うと畏まって取り繕う。結局自分の本心を全て吐露できる相手なんかいないことに気づく。この結論づけも合理化なのか?合理化であるかどうかはどう見極めればいいの?

支援者全員が自分の能力やら本質やらを客観的に評価しようとしているのがわかる。客観的に見極めてしまえる人たちは絶対的なサポーターにはなれないんだろうと思う。いやな利用者だなあオレ。

依存所の支援で、スリップした仲間にみんなで拍手ってなんか違うんじゃねえか?って思っていた。今も少しそう思う。だけど躊躇せず拍手し、有無をも言わさずハグるくらいのアメリカンな態度でちょうどいいのかもとも思う。ただ大丈夫と笑顔で迎えてあげるだけじゃなくて、あのくらいの大げさ具合でやっとその人のとこまで降りていってあげれるというか、その人もうけいれてもらってるかもって気付けるというか。

前面的に全力で味方になってくれる人が自分にはいない。そんな風に感じている自分がいる。それでよしとしてる自分がいる。そんなんだからいつも最後には一人になる。そんな自分がホントは嫌なんだけど嫌な状況であることを認めてしまうともっと悪くなってしまいそうで気にしないふりをする。どうしてこんな風になったんだろう。

…...最近わかった。あーオレか!
わかってくれない誰かのせいではなく、誰かの支えてあげようという思いを触発させない自分のせいなんだ。ツキモノオトシ。周りのせいにばかりにしてホントすみません。 

最後に「成功事例になってください」と励まされる。成功?成功って何????よくわかんないけど、わかったよ。成功事例になってやろうじゃないか!そんな風に思ってカンファの帰りにNAに行った。

 

あー、履歴書がすすまない。感傷君を一回ぐーで殴って気絶させ、倒れてるうちにちゃちゃっと仕上げよう。

 

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