死ぬのにうってつけの日
刑務所での無抵抗、アンコントローラブルな生活において、自分の支配下に置くことができるのは書くことだけだった。あの二年半は文章を書く技術を鍛えられた。人間切羽詰まると色々努力できるもんです。
年末にスリップが原因で仕事をやめることになった。仕事をやめたとたんに人間関係がほとんどなくなってしまった。このままではしんどい。やばい。そんな危機感もあって、未開の地、エアーの世界にくりだすことにした。ブログをはじめてみて書きながら思う。ネットのコミュニティって新鮮。相手には自分が見えない。けど見せている。そしてつながっている。ホントに嘘をおりまぜて自分じゃない自分ができあがる。実物よりもちょっとだけ男前にうつしてくれる鏡みたいで居心地がいい。
今、ボクを映す鏡はちょうどぴったり自分サイズ。鏡が大きすぎても。自分が大きすぎても自分をうけいれることは難しい。今、すごくちょうどいい。ちょうどよすぎて死にたくなる。さっき自転車で走っているときに、後ろから猛スピードのダンプカーがかすめていった。轢いてくれたらよかったのに。
ダルクにもきっちり通っていて、もうすぐ三か月が経とうとしていて、クリーンのまま、これから働いて回復していって…いい奴だったのにって。スポンサーシップもホームグルームもなく、どこにも所属せず迷惑をかけず、失う怖さもない。今だったらみんなに希望だけを与えて終れる。死ぬのにうってつけの日ってこんなときなんじゃないか。
わずかだがこの姿を見せ合わないコミュニティの面白さにふれることができ、将来のやりたい仕事も見えてきて、いいなあと気になる人もあらわれた。今ボクをとりまくすべての物事が未来の方へ矢印を向けている。もうそれだけで十分だ。
もしボクが死んだと聞かされても笑って逝ったって思ってください。なんてね。ないなそれは。だってボクはかなり欲張りだから。もっともっと惜しまれて死にたいです。