ある依存症者の終わらせたい日記

人生の大事なことは覚せい剤が全部教えてくれた。HIV×ゲイ×依存症×前科⇒精神保健福祉士のライセンス失効⇒最近復権。君子豹変して絶対に幸せになる。

ミーティング

NAとのはじめての出会いは、もうかれこれ二十年前。

それは当事者としてではなく、精神病院のPSWという立場で入院中の依存症患者に付き添っての参加だった。

嫌いだったなあ。薬物依存症患者って。

弁はたつし、病棟内では威張ってるし、慢性期の統合失調症患者さんとか平気でパシリに使うし、職員の人間関係引っ掻き回すし、偉そうししてる割に退院したと思ったらすぐスリップして再入院してくるし、支援者のやってあげる心を全くくすぐらない。

担当になるのとか本気でかんべんしてよって思っていた。

自分はゲイだということを隠して世間に順応して生きているのに、規範に全くとらわれないその生き方が許せなかった。

ミーティング自体も自分の知ってる福祉の現場とは全く違っていて居心地悪かった記憶がある。

「なんだこの懲りない面々の不幸自慢は?」

内容もなんか似たような話がダラダラ繰り返されて盛り上がりがどこかわかりにくい沖縄のカチャーシューみたいだなあって。(まあ、野性的な厚みたいなものは確かにあったけど)

ダルクにしろ、NAにしろ出来上がり過ぎて迷いがない感じと、メンバーのそこにいついちゃってる感が苦手だった。

どうも神様慣れしていない自分にとってはハイヤーパワーはトウーマッチなんです。


それから。紆余曲折。カクカクシカジカ。

いつの間にかあんなに毛嫌いしていたヤク中に...、どこに出しても恥ずかしくない立派なヤク中に...なって参加したのが約五年前。

その時は保釈中で判決に有利に働くかもという下心もあったんで、アディクトという自覚はあったものの参加はお客様的だった。

「誰かのおかげで回復したのなら、その誰かがいなくなった時、必ずまた再発する。だから回復は一人でやらないといけない。」

そんな風に思っていた。

SOSを出せなかった。

転んでも痛いとももいわず、すました顔をしてひとりで膝を払って立ち上がって歩いてきた。


そして今。

出所して改めて通いはじめて一ヶ月。

まだたった一ヶ月だけど、ミーティングって人じゃなくて場所なんだなあと思う。

目標を共に目指すというよりは、これまでに失ったものを共有することによってそれぞれが前に一歩進める場所。

前がどっちだか確認できる場所。

いつもは頑張れって言われると頑張ってるよって腹が立つことが多かったけど、ここじゃお互いに「ああお前もな」って感じだから、「頑張れ」って言われても腹が立たない。どんな場所。

そんな自分に「協調性あるんだ」って新しい自分に出会ってびっくりできる場所。

誰かに寄りかからずに、でも支えてもらえる、しかも絶対になくならない居場所なんだと。

近くのコンビニは潰れてもここはきちんと残ってるしね。

そのことに気づいて楽になった。

無名の仲間が集う場所。

一人じゃないっていいなあと心から思う。

 

自分自身で思想を終わらせると、伸び代も自分サイズ。

誰かに伝えた方グッと広がって面白い。


だけどバースディだけはどうしても苦手ですね。回ってくる色紙に何を書けばいいのかわからない。