ある依存症者の終わらせたい日記

人生の大事なことは覚せい剤が全部教えてくれた。HIV×ゲイ×依存症×前科⇒精神保健福祉士のライセンス失効⇒最近復権。君子豹変して絶対に幸せになる。

無力(おまけ的に有力も)

無力と有力というお題からバビル2世のロデムをなぜか連想してしまった。

確固たる自分をもたない代償として、変幻自由な体を手に入れたロデムに憧れる。

フィジカルは無理だからメンタルのロデム化を目指したい。


ステップ曰く、薬に対してもアディクションに対しても自分が無力であることをまずは受け入れろということらしい。

薬に真正面に対峙してしまうとどうやったって負けてしまう。

だから薬を前にゼロ(無力)の自分で対峙することで薬のパワーもゼロ(無力)にしてしまおうってことなのだろう。

無力を認めるってなんか自分の存在が無意味であるように思えてしまい受け入れ難くもあるが、薬に対して無力であるあることと自分が無力な人間であることは一致しないんだと解釈したい。

薬へのとらわれを手放すことで両手が自由になるように人生の可能性が広がるのだろう。


「薬に対して無力である」って具体的にどうなることなのだろうか?

とらわれを捨てるでは足りない気がする。

しいていうならば「薬について忘れる」ではないだろうか?

使いたいもない、使いたくないもない、もう薬もアディクションだったことさえも覚えてない状態。

とはいうものの人生の大部分に薬が食い込んでしまって、遺伝子、脳器質レベルの変化によって「ヤク中」という人間によく似た生き物になってしまったから、薬について忘れるってのも不可能。

そもそも忘れるって怖い。

人間は記憶と言葉でできてるものだ(とボクは考えている)から、誰もが忘れることを本能的に忌諱する(んだと思う)。

死をも恐怖しない今だけを生きる完璧な認知症って人の完成系とにも言えるけど誰も認知症にはなりたくないのがその証拠なんではないだろうか。

(個人的には認知症って生きた即身仏みたいでやだなあ)


クスリについて忘れてる時っていつだ?

笑ってる時かな。

一瞬一瞬の笑顔の積み重ね。

これが今のところの「今日だけの」具体化。

 

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