ある依存症者の終わらせたい日記

人生の大事なことは覚せい剤が全部教えてくれた。HIV×ゲイ×依存症×前科⇒精神保健福祉士のライセンス失効⇒最近復権。君子豹変して絶対に幸せになる。

親との対話

晦日は格闘技系のテレビ番組を見ながらってのが我が家のならわし。紅白でもガキ使でもない。


家族団欒で夕飯を食べながら、弟や甥っ子が「井上尚弥つえーな」とか「未来すげ〜、カッケー」とか言って盛り上がる。便乗して自分が「天心いいよね」って言ったりするとなんか微妙な空気が流れてしまう。どういう意味で言ってんだろうって声にならない声がはっきり聞こえてくる。

何気に母親が「この海老どうやって食べるか知ってる?」って聞いた時、「しゃぶればいんだよ」って無邪気に答える甥っ子。その「しゃぶ」っていう言葉の滑舌がやけによく、響いちゃったもんだから、正月特有のぬるい空気がピキーンと張り詰める。不意打ちはヤバイぜ。固まる大人たち。事情を知らない甥っ子だけが不思議そうな顔をしていて...。なんか俺アンタッチャブルだなあ。みんなに地雷いっぱい持たせてる。


棚上げにした荷物がどんどん積み重なって溢れて崩れそうだなあと気づきながらも、それでも知らんふりしてここまできてしまった。


両親は二度目に捕まった時に「覚せい剤使用」「前科」「HIV」「ゲイ」ってことを一気に知ることになって、自分は手のかからない俗に言ういい子で育ってきたし、結婚して子供もいたんで、何もかもがショックだったと思う。こちらにも言い分はあったけど、相手を傷つけずにあなた達に傷つけられたということをうまく伝えられる自信がなかったからこれまでも対話を避けてきた。


元来、家族には自分のことを話せない。聞かれたら答えることはできるけど、自分から何を話していいのかがわからない。いつも自分のことは自分で決めて報告だけするって具合だった。親は相談して欲しいって腹を立てるんだけど、そういうスタイルというかスタンスで生きてきた。結果は変わらなくても話し合っておくべき時ってのが人生にはいくつかあって、今回の帰省がそうだと思っていた。両親も何となくそのことを感じ取っていたはず。お互いにヘビーな時間になりそうだなあって思いながら戻っての...


真剣親子しゃべり場120分!


しんどくなかったって言ったら違うんだけどよかった。話せてよかったというのが率直な感想。父親は「お前そんな喋るやつだったんだ」って。何かが変わるわけではないけど、決して後ろ向きな意味ではなく、わかりあえなくても家族だから仕方ないって思えた。


さすが母親、最後の最後に「そんな風に生んでしまってごめんなさい」ってすっごい言葉をぶっ込んできやがって...。この母親の罪悪感みたいな意識を消してあげるには自分は何がなんでも幸せになるしかないんだなあ。この親が思う子供の幸せな姿ってどんなんだろうって考えて(だけど考えすぎないで)、今後の人生のプランを立ていかなければなあと思わされた。

まあできるかどうかわかんないけどね。