ある依存症者の終わらせたい日記

人生の大事なことは覚せい剤が全部教えてくれた。HIV×ゲイ×依存症×前科⇒精神保健福祉士のライセンス失効⇒最近復権。君子豹変して絶対に幸せになる。

親への手紙 その3

お元気ですか。
予想通り八王子医療刑務所に移送されました。
ここに移ってちょうど一週間です。


今日、二回目の診察で入所時の血液検査の結果、CD4が160だったと説明をうけました。一般刑務所にいく時期は、毎月の血液検査で三か月連続してCD4が200を超えるのが安定の目安になるという情報もあり、しばらくはここでの懲役に(全く懲役という扱いではないんですが)なります。
ここでの生活は拘置所とほとんど変わりありません。恐ろしいほど規則正しく、これ以上ないくらいに絶対安静の毎日です。だからいったんなじんでしまえば、CD4の数値は下がることもなければ上がることもないことが予測されます。満期まで移送されない可能性も高いです。
CD4を上げるには笑うことだと診察で助言されましたが、いかんせんここは刑務所、しかも個室。残念ながらなかなか機会に恵まれません。
ここにきてすぐ気づいたことですが、この刑務所一帯がなんだか時空がゆがんだ雰囲気に包まれています。古い傷だらけの写真に閉じ込められたような混とんとした空気の世界なんです。ただ決して居心地悪いわけではありません。ここの病室からは東京の空も外の景色も見ることができるし、運動の時間には日に当たることもできます。そして何よりも名前で呼ばれます。もちろん呼び捨てですが、名前を取り戻した気分です。

 

ここに来て、改めてこれまでの人生について振り返ってみました。
笑える記憶、痛い思い出など思いだしてみましたが人のことはよく思い出せるんですが、いざ自分のこととなるとそんなに出ないというのが実際です。
とりあえず褒められたという記憶がさっぱりなんです。そんなはずはないんでしょうが…。
なんでこんな風になってしまったのか考えてみましたが、ひとつ思い当たることとして、僕は自分の目標と親の目標の違いがよく区別できてなかったような気がします。褒められた時も自分のことではなく、親が頑張ったことを親が褒めていると感じてしまい自分の評価として受け止めることができなかったんだと思います。ここが発端で褒めへのマヒがエスカレートしていき、「自分で決める」「自分だけでやる」ということに強くこだわる自分が出来上がったのかもしれません。
今もコントロールされることが嫌で頭ごなしに言われたり、一方的な態度で意見を押し付けられると(たとえそれが僕のことを思ってのことであったとしても)無理にでも抵抗してしまします。
あの頃どうしてほしかったという未練とか恨みとかではなく、結局自分の再生には家族と対話する力が必要なんだということです。中学くらいですませておくべきプロセスなのかもですが、遅くやってきた思春期って感じです。

 

もしも覚せい剤に手を出さなければ逮捕されることも刑務所に入ることもなかったと思います。だけど自分の生きづらさに対峙することもなく大きな壁の前で動けなくなってしまっていたかもしれません。あまりに過去に執着してしまうとここでの時間が無駄になるような気がします。無理くりにでもここに来れたからこそ得れたもの、気づけたことという風に思考を持っていくようにしたいです。

 

寒くなってきていますが、お体大切にしてください。

 

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