変わってしまった思い出
彼が亡くなったと聞いたとき、自死だと思ってしまったわけは、ボクの人生において彼ほど生命力に溢れた人と出会ったことがなかったからだ。病気でも事故でも、ましてや運命でもない。彼から生を奪うことができるのは彼自身しかいない。そのくらいエネルギッシュなやつだったからだ。
調子のいい時期というのが人生にはある。ボクが至極調子にのっていたころ、彼は仕事でのパートナーだった。彼はボクが頭の中でやりたいと描いたことを体現してくれる有能で、かつ貴重な存在だった。うつを患っていたとは知っていたが彼と過ごした時間の中でただの一度も彼の中にうつを見ることはなかった。彼らしいと言ってしまえばそれまでだが...水臭すぎる。
ほどなくボクらの道は分かれた。彼は公務員という花道にわたり、ボクはアングラという名のジャンキー街道を突き進んだ。それ以来会うことはなかった。
仕事を休職している。そんな噂も聞こえてきたが連絡は取らなかった。ボクはボクで自分の人生をどうにか社会に馴染ませうようと覚せい剤を打ちまくる毎日で誰かの心配をしているどころではなかったから。心配もしなかったボクに彼の死を悲しむ権利なんかない。
通夜には参列した。逮捕されてそれっきりだった前の職場の面々と顔を合わせなければならないことを気まずく思った。だけど懐かしい再会に彼以外は笑顔だった。彼が会わせてくれたんだ。
「通夜は故人があの世に行くための覚悟を決める時間です」そう僧侶は語った。なんてむごいことを言うんだろう。さんざん苦しんだはずなのにまだ懊悩させるのか。
だけど彼の死顔をみて安心した。それはボクの全然知らない顔だったから。彼はしっかり死んでいた。彼はここにはいない。覚悟なんかの前でもう悩んではいない。今頃は三途の川に釣り糸をたらしてのんびりしてるだろう。そんな風に思えた。
なんで死んでしまったんだろう。悲しまない代わりに考えた。今を大事にしすぎたのかもしれない。今の辛さに誠実すぎたのかもしれない。わからない…。わからなくていい気もする。彼に断りもなく彼の死の理由を考えること自体失礼に思える。彼の死は彼のものだ。彼以上に知ろうとするのはやめよう。命は投げ出すものでも、役立てるものでもなく、ただ生きるためだけにある。命に生かされて人は生きている。彼は...彼の寿命だったんだと、受け入れよう。
悲しまないし、理由も考えない。できることはただ思い出すこと。怒ったり、笑ったり、歌ったり、走ったり、心配されたり…。思い出せるシーンはいくらでもある。だけど想起された場面はこれまでとは確実に違う。彼にだけ色がない。後戻りできないタイプの上書き。もうあの頃の思い出にはもどらない。人の死ってこういうことなのか…少し戸惑う。
通夜の帰り、電車を待つ駅は通夜の帰りに似合うなんとも湿っぽい雰囲気だった。ボクはまた原色の街、新宿に戻ろうとしている。今夜のために昨日買った黒のネクタイを外しながら。明日届けられるはずの椅子を楽しみにしながら。そういう風にボクは今を乗り越えていく。