刑務所で彼氏ができた
刑務所にいた頃、日記を書いていた。二年間、毎日欠かさずに書いた。その日の出来事、読んだ本、覚えておきたい言葉、手紙の下書き…しがみつくように書いた。あの頃、自分の支配下に置くことができたのは書くことだけだったから。もちろん刑務所なんで定期的に検閲がある。チェックされると思うと刑務官の悪口は特に気合を込めて書けた。(悪口は文才を伸ばす)。思うがままに書き記した獄中収監ダイアリー。自分史…そう言っても過言じゃない。文字で埋め尽くされた五冊のノート。そこにひとつだけ書かなかったことがある。いや正しくは書けなかったことかな。書きたかったけど書けなかったこと。それは彼氏のことだ。そう、彼氏についてだけは書くことができなかった。
ボクにはつきあったと呼べる男性が三人いる。その三人目の彼氏については日記に書いていない。なぜならその彼氏は刑務所でできた彼氏だったからだ。バレてしまい自分が懲罰になるだけならいい。だけど相手がそうなってしまうのは忍ない。いや本当は「オヤジらに目をつけられて転棟なんて措置になったら会えなくなるし洒落にならない。リスクは極力避けたい」それが一番の理由だった。そういうわけで、たまに読み返すピンクのノートには彼に関することは何も書かれていない。
彼との話をしよう。
彼はボクの後に新入として入ってきた。なぜか来た時点でボク以外の病舎の連中とはすでに馴染んでいた。出戻りだったせいだ。みんなより先に出て行って、みんながいるうちに戻って来たということだ。可愛い顔してあの子わりとやるもんだねと少し尊敬した。
彼もヤク中。運動中の桃色談義(つまりはピンクトーク)では、いつ、どこで、だれと、どんなキメセクをやってたかをルーティンのスパーリングのように語り合う。こんな端正な顔立ちで、あどけない雰囲気なのにエロ方面では結構エグい淫蕩男児。かわいいルックスで淫乱って…無敵じゃないか。オレのエロメガネにかなうヤツ。
「ここにいる間だけでいいからさあ。オレとつき合わない?」告白した。愛は惜しみなくいってみよう。普段、苦手な相手ともそつなくうまく付き合ってしまう反動で好意の対象へのアプローチの場面では気持ちがアンコントローラブルになってしまう。
人生捨てたもんじゃない。オーケーの返事をもらえた。
文字通り薔薇色の彼氏持ち刑務所生活が始まった。まあ付き合うと言っても、お互いに独房同士。たいしたことはできない。運動中、一緒に歩いたり、入浴中にチョメチョメしたり、××××つきのちり紙を見つからないように交換しあったり…その程度のプラトニックな関係だったが実にカラフルな時間でもあった。
ぴりっとした冬の朝の空気もやさしく思えてしまう。気持ちのど真ん中にしっかり陣取る意思、執着、まるで依存。明日に回せることは明日に回すようにしてきたがそうもいかない。起きて気づく「あー今日も好きみたいだ」ってね。つきあうってことは、相手に対する愛情を出し惜しみしなくていい権利を得ることである。つまりはどんどん好きになっていいんだ。
日中の作業が終わり道具出しの瞬間。わずかに目が合う一瞬。背景が消える。独り占めしている。独り占めされている。互いが互いだけのものになる。それでいい。それだけでいい。宝物をみんなに「すごいでしょう」って自慢するよりも、ひっそりひとりで愛でる方がいい。その濃厚な刹那を全部丸ごとやきつけて夜を超える。オレたち贅沢者。
「幸せですか」の冷やかしに「おかげさまで」と返せる至福。イチャイチャしすぎで風紀を乱すと指摘もされた。お互いの衝動を受け止めあっているだけで、それをイチャイチャって言われるのは心外なんだけど、関係ないね。
恋愛はいい。知らない自分に出会える。例えば嫉妬。こいつはどうして割り込んできてオレ達の邪魔をするんだろう。やつの隣はオレの居場所のはずなのに。柄にもない(というかこれまで出会ったことのない)感情があらわれる。鷹揚さを美徳に生きてきたがそれを失った瞬間ボクは以前と違う生き物へと変わる。変態だ。
色々あってよかった。色々あったからこそ出会えた。無理くりにでも人生の全てに意味を持たせる。顰蹙なんてクソくらえ。
出所日、荷物を持ってゆっくりと廊下を歩くボクに彼は部屋から変顔で挨拶をしてくれた。以来彼とは会っていない。刑務所内では出所のことを卒業って言うんだがあながち間違いないのかも。だってあの時間はボクにとっては紛れもなく青春だったから。
元気かなあ。いつか打ち上げ花火みたいなキメセクをしようと交わした約束は結局叶わなかったけど。元気だったらいいなあ。ボクは今も元気です。
隠れて渡したラブレター(レプリカ)
真冬の夜回り
ボクらの夜回りでは夜の都心を二時間ほどかけて歩く。とても疲れる。持ち歩く食材の重さのせいではない。だって配り歩いて荷物は減りながらも肩の重さは変わらない。ちっぽけな自己満足をひとつ配り、大きな罪悪感をひとつ受け取る。
路上で寝ている人へなんと声をかければいいのだろう。伝わる言葉がわからない。共有できる言葉がない。それだけでもうとてつもない障害だ。一緒に歩いていたインターンの学生が問うた。「あの人たちは自分の意思でああしているんですか?」ボクは答えることができなかった。彼らがそこにいる理由…。わからない。わからないからボクたちはこうやって夜回りをしているんだろう。「聞くことが権利擁護だ」。誰かの言葉が闇夜をふっとよぎる。
彼らとは家族や故郷の話では盛り上がらない。それどころか触れてはいけない過去であることの方が多い。癒やそうと触れることで傷つけてしまう怖さ。触れなければいけないのに触れられない。…難しい。
一度の出会いをどれだけ意味のあるものにできるかが専門家としての腕の見せどころなんだと思う。今、懐に入らなければ、次はいつかわからない(次なんて来ないかもしれない)。今、今、今…鮮度がものをいうホームレス支援。
うまくできないボクは受け渡すSOSガイドに自分の携帯番号を書いた名刺とテレフォンカードを挟む。「よかったら連絡ください」そう謝るように願うように。その人の可能性を信じるストレングスモデル。これってもしかしたら支援者ための概念なのかもしれない。
路上の人はみんな違う。なのによく似て見えてしまう妙。いつの間にか風景にも化してしまう怖さ。闇に身を隠す彼らを見逃すまいと目を凝らし歩いているとそのうち街路樹も人の形に見えてくる。
いつもの場所にいなかったおじいさん。暖の取れる場所にいてくれたならいいんだが。今年の冬は寒い。早く過ぎてはくれまいか。
センスのない排除アートからのリア充ハラスメントビルディング。ホームレスの人たちを排除する街なんて、そのうち誰もいなくなるだろう。まったく豊かじゃない国ですね。
クレンジングクリームひと塗り
悪口は言っても陰口は言わない
そう自分に言い聞かせて生きてきた
言いたいことがあるなら本人言おう
どんなに底意地悪くたって直接言えば救いの出口は見つかるはずだと
だけどそうはいかない根性の悪さ
人間の小ささ
澱に満たされもれる毒
そして今日、陰口を当の相手に聞かれてしまう失態
まじ最悪
だけどもういい大人同士
聞かないふりに言わないふり
なかったことでことなきを得た
次会った時に「あのときはごめんなさい」そう言えばいい
吐き出してリセットして勝手に楽になる
毒は毒のままなのにね
以前だったらそうしてた
けど今回はやめておく
自分の中でとどめておこう…
はーつらい
こういうつらさはほんとつらい
つらさを受け止めたい
この痛みは教訓だ
そう戒めたい
もっと大人食堂
元旦の夜、初夢の中でボクは見知らぬ誰かの相談対応をしていた。大晦日、一日と生活困窮した人の話を聞きまくったせいだ。
長期の連休が日雇い労働者を追い詰める。ゴールデンウィークとお盆休み、それに年末年始。特に年末年始は寒さが追い打ちをかける。
炊き出しの弁当の配布とともに相談会を実施した。頼ってきた人たちに使える社会資源はもう生活保護しかない。だけどそのくらい逼迫、切迫した状態でも「生活保護だけは…」皆ためらう。
困窮者支援はテンポが速い。命に寄り添おうとするあまり、気持ちを疎かにしてしまう。制度の利用を押し売るボクは「そんな常識的な話なんか聞きたくない」背を向けられた。…反省する。そりゃそうだよなあ。これまで常識に痛めつけられてきたんだろうから。
今日のこの出会いを制度に繋げなければ最後かもしれないという支援者の覚悟にも似た思い上がりが重荷に変わる。「生活保護生活保護うるさくいうな!」怒鳴られもした。今日だけ生きれればいいと言う人に、明日も生きててほしいと願うボクの言葉はお節介として届く。未熟さが身に染みる。もっと面接がうまくなりたい。
ボクはソーシャルワーカーだ。活動家や政治家ではない。彼らの社会や政治を制度ごとひっくりかえすようなダイナミックなやり方にはなじみが浅い。ただ目指す社会像は同じだと思う。理想社会へ近づくための手段としてボクの持つソーシャルワークのスキルを使ってもらえればいい。そう割り切っている。
三日間で何人救えたのだろう。
日常が始まり普段の業務の中で新たな相談者と出会う。彼はあの日の炊き出しにも来たという。相談会には並べなかったらしい…
足りない。あー全然足りない。本当は炊き出しに来た588人全員の話を聞かなければいけないのに。それが社会よりも個人をみるソーシャルワーカーの役割なはずなのに。そうだろう?足りない。足りない。あーもう全然足りない。
吹きさらしの相談会はお互いに震えながら
寒さくらいは共有できたのかも
たかが成人式、されど成人式
たかだか成人式のためにお金と休みを使って地元に帰るなんてバカらしいとしか思えなかった。
卒業アルバムも重くて捨ててしまったし。
コロナで成人式が中止になってぽっかり心に穴があいたとの新成人。その傷心がボクにはよくわからない。だけどニュースになるくらいだからそっちの感覚がきっと常識なんだろう。
懐かしみたい思い出がないってことが普通じゃないって全くもって気づきもしなかった。
ただ、ボクがここまで生きてこれたのはガールズの振袖のおかげでもあるから(実家が呉服屋なんです)、成人式、全否定はできません。
振袖じゃないけど沢尻エリカの白無垢はいいなと思った
まとまらない「地域福祉の理論と実践」の話
はるか昔に福祉の専門学校でクラスをもっていたことがある。
お金のために教えていた。一度目の逮捕のときに三週間収監された結果、無断欠勤となり、結果100万円以上減俸となってしまった。家のローンもある。養育費もある。年収を埋め合わせるためのダブルワークだった。
一時間半の授業の資料を作るのに大体8時間くらいかかる。覚醒剤を使って寝ずに資料を作り、そのまま授業にでていた。半年間よく頑張ったと思う。(やり方はどうであれ、あの努力については自分で自分を褒めてあげたい)。
「クスリを使ったからあの作品ができた」。有名人がクスリで捕まったときによく聞く言葉だがそれは違うと思う。作品の良し悪しにクスリは影響しない。作品を作る産みの苦しみをすっとばせるという効果はあるだろうけど。まあだからといってあのときの学生たちに後ろめたい気持ちはいっさいないといったら嘘になる。
そのときに担当していたのは「地域福祉の理論と実践」。正直難しかった。
福祉の現場では医療機関のソーシャルワーカーの方が地域のワーカーよりも高度な専門性をもち、高尚であるという偏見がある。だからジェレリックよりもスペシフィックを目指す学生が多かった。社会福祉協議会なんかで働きたいっていうと「安定に逃げたか」と口にはしないが蔑まれる見えない空気もあった。
個人的にも「地域」というあるのかないのかわからないようなゆるい仕組みの中で仕事をしているとゆるい職業意識になっていく。そんな固定観念(偏見と無知)もあった。この地域福祉に対する苦手意識は、自身の地域に対する不信が原因だった。
どの教科書にも、地域の弱体化が課題だと書かれてある。だけど、セクシャルマイノリティであり、アディクトであり、それを隠す生き方をしていた者としては、もともと地域に居心地の良さを感じてこなかった。地域の排他性については語れるが、繋がりの大切さみたいなもについてはうまく語れない自分がいた。地域なんて弱体して然るべき。みんなひとりで生きるために強くなるべきだ。そんな風に思っていた。孤独だったんだと思う。孤独なワーカーが地域福祉を教えてはいけない。
役割がないとうまく立ち振る舞えない。ソーシャルワーカーという肩書があるから誰かと関わることができていた。だから素の自分を武器にできるボランティアにいつも劣等感をもっていた。劣等感を刺激する相手とうまく仕事ができるはずがない。福祉職以外の人と仲良くなりにくい特性ゆえの息苦しいネットワーク。あの頃のボクの携帯電話のアドレス帳には仕事関係の人しかいなかった。
すべてのソーシャルワーカーはコミュニティワーカーであるべきだ。今はこう言える。ソーシャルワーカーの顔しか持っていないソーシャルワーカーはダメとまでは言わないが福祉家と名乗るには不十分だと思う。
地域の中でありのままの自分が受け入れられている実感を得たからこその趣旨変え。転向。
地域のつながり、絆について語るときにはコミュニティの排他性にまでしっかり言及してほしい。そしてそれでも地域っていいもんだよと自分の実践で理想を語れる人こそ教壇に立つべきだと思う。あの頃のボクにはその資格はなかった。今だったらきっと、もうちょっと力強く地域っていいもんだぜって言えるような気がする。
いきあたりばったりの様に見える人生であっても、改めて振り返ってみると今につながる「何か」がたしかにあって、それをストーリーとして物語れる。それは福祉の現場に携わる誰もがもたなければならない自己覚知なんだと思う。
白昼夢
コロナ禍の象徴のひとつアクリルボード
原宿留置での苦い思い出がよぎる
あの日、面会室のドアを開けると部下が3人座って待っていた
アクリルボード越しに対峙したボクらは誰も何も話さない
話せない
一言でも言葉を発してしまったら自分がどうなるかわからなくて、世界ごとひっくり返ってしまいそうな気がして一ミリも動けなかった
わっと涙が出そうなのをぐっと堪らえようとしときにはもう遅かった
涙はこぼれ落ちていた
たった一滴だけで体重が何キロも減ってそうなそういう類の涙
悲しいのか、恥ずかしいのか、情けないのか、もう何がなんだかわからなくて
ただただ温かかった
温かくて熱い涙だった
その熱はこびりついてた余計なこころの澱を溶かしてくれた
あれ以来、ボクは涙もろい
謹賀新年2021
あけましたね
おめでとう
色々はつきないけれど
つきない色々があるからこそ人生は面白い
色々に学び、色々に笑う
そんな一年にしていく所存です
色(々)男宣言2021
変わってしまった思い出
彼が亡くなったと聞いたとき、自死だと思ってしまったわけは、ボクの人生において彼ほど生命力に溢れた人と出会ったことがなかったからだ。病気でも事故でも、ましてや運命でもない。彼から生を奪うことができるのは彼自身しかいない。そのくらいエネルギッシュなやつだったからだ。
調子のいい時期というのが人生にはある。ボクが至極調子にのっていたころ、彼は仕事でのパートナーだった。彼はボクが頭の中でやりたいと描いたことを体現してくれる有能で、かつ貴重な存在だった。うつを患っていたとは知っていたが彼と過ごした時間の中でただの一度も彼の中にうつを見ることはなかった。彼らしいと言ってしまえばそれまでだが...水臭すぎる。
ほどなくボクらの道は分かれた。彼は公務員という花道にわたり、ボクはアングラという名のジャンキー街道を突き進んだ。それ以来会うことはなかった。
仕事を休職している。そんな噂も聞こえてきたが連絡は取らなかった。ボクはボクで自分の人生をどうにか社会に馴染ませうようと覚せい剤を打ちまくる毎日で誰かの心配をしているどころではなかったから。心配もしなかったボクに彼の死を悲しむ権利なんかない。
通夜には参列した。逮捕されてそれっきりだった前の職場の面々と顔を合わせなければならないことを気まずく思った。だけど懐かしい再会に彼以外は笑顔だった。彼が会わせてくれたんだ。
「通夜は故人があの世に行くための覚悟を決める時間です」そう僧侶は語った。なんてむごいことを言うんだろう。さんざん苦しんだはずなのにまだ懊悩させるのか。
だけど彼の死顔をみて安心した。それはボクの全然知らない顔だったから。彼はしっかり死んでいた。彼はここにはいない。覚悟なんかの前でもう悩んではいない。今頃は三途の川に釣り糸をたらしてのんびりしてるだろう。そんな風に思えた。
なんで死んでしまったんだろう。悲しまない代わりに考えた。今を大事にしすぎたのかもしれない。今の辛さに誠実すぎたのかもしれない。わからない…。わからなくていい気もする。彼に断りもなく彼の死の理由を考えること自体失礼に思える。彼の死は彼のものだ。彼以上に知ろうとするのはやめよう。命は投げ出すものでも、役立てるものでもなく、ただ生きるためだけにある。命に生かされて人は生きている。彼は...彼の寿命だったんだと、受け入れよう。
悲しまないし、理由も考えない。できることはただ思い出すこと。怒ったり、笑ったり、歌ったり、走ったり、心配されたり…。思い出せるシーンはいくらでもある。だけど想起された場面はこれまでとは確実に違う。彼にだけ色がない。後戻りできないタイプの上書き。もうあの頃の思い出にはもどらない。人の死ってこういうことなのか…少し戸惑う。
通夜の帰り、電車を待つ駅は通夜の帰りに似合うなんとも湿っぽい雰囲気だった。ボクはまた原色の街、新宿に戻ろうとしている。今夜のために昨日買った黒のネクタイを外しながら。明日届けられるはずの椅子を楽しみにしながら。そういう風にボクは今を乗り越えていく。
HIVはフツー...じゃない
「HIVであっても普通だと思われたい」
そう啓蒙したい
そう理解されるのが理想社会だと思っているから
HIVだから虚弱体質扱いなんてありえない
丁寧に気づかわれても「えっなんのことですか?」って風な態度でこたえる
意固地で可愛げがなく傲慢だ
だけどそんなボクにも周りはやさしい
そして賢い
気づかれないようにボクへの配慮は精度を上げていく
残念なことにボクも賢い
見抜いてしまう
そして無理をする
天邪鬼..
というか大馬鹿者
「普通」は目指すゴールなんかじゃねんだよなあ
普通じゃないまま配慮しもらえる環境をありがたく享受してしまえばいいのに
何を躊躇っているのか
あゝ今日も自分がめんどくさい
関係ないけど名盤
三連休の成果、もしくは充実ともよべる
【やったこと】21日(土)
部屋の掃除。(ぴかぴか)。
危機一括になりそうな通帳の記帳。
宅配便(アマゾン、メルカリ、郵便局、クロネコ)の受け取り。(タイプの配送員なし)。
ブログ一本。
両親への振り込み返済(20,000円)。
母親への誕生日プレゼント送付。
食材の買い出し。
昼寝。
高田馬場でサシ飲み。(「磯丸水産」からの「HUB」あがり。終電前の健康的解散。タイプなんだがその子の母親よりも自分が年上であることが判明し砕ける)。
デトックスのため長湯。(「約束のネバーランド」を一気観でのぼせる)。
【やったこと】22日(日)
早起き。
ゴミ出し。(ダンボール)。
宅配便(メルカリ)の受け取り。(裸眼なので配送のお兄さんをチェックできず...)
ブログ一本。
映画鑑賞「ウルフウォーカー」。(届きたてのバックナンバーのカーゴパンツで有楽町ウォーカー)。
帰宅してからのネットフリックス「下妻物語」(深田恭子って砂糖でできてそう)。
早寝。
【やったこと】23日(月)
早起き。(まずは勤労感謝)。
毛布、掛け布団カバー洗濯、乾燥。
年賀状30通作成。(気持ちは元旦)。
ブログ一本。
食材の作り置き。(おにぎり10個)。
保護会で離脱教育と尿検査。(陰性バンザイ)。
陰性結果をラインで関係者に報告。
保護会の先生がお寿司をごちそうしてくれる。(お礼に刺身ってクスリの隠語なんですよって教えてあげる)。
駐輪場の更新手続き。
コインランドリーで掛け布団を乾燥。(乾燥待機中にナイモン登録。乾燥終了後にアカウント削除)。
帰宅して風呂。
↑今ここ
【やれなかったこと】
キメセク(やっちゃったらこの四文字で三日が充実してしまいます)。
クスリへの渇望は最近は物欲を満たすことで回避している(不健康)。椅子買った!!!
エンタメしすぎる社会
ホームレスの人の生活へ密着した取材の記事が炎上している。必死に生きている人の姿をエンタメ化するのは非礼であり、軽薄だという理由らしい。
このブログでもホームレス問題について書いているので他人事じゃない。消してしまおうかと迷った。だけどまあこれが今の自分なりの精一杯なので、たとえ誰かに「それは違う」と指摘されても「ああそうなんですか。次からはもっとできるようにします」そう言うしかないと開き直ってそのままにしている。
その記事自体を読んでいないのでなんとも言えないが(私生活ではなるべく仕事関係のものには寄り付かないようにしています。つかれるんで…)、時代的に様々な事象がエンタメ化しやすくなっていることは実感している。ツイッターをやっていても「淘汰さんの経験は他の方にはないものなので取材させていただき動画配信しませんか」という類のDMも来るし…(まだまだ伸びしろあるんでお引き取り願ってますが)。
映画「ミッドナイトスワン」もトランスジェンダーの当事者から「違う!これじゃない!!!」批判が繰り出されて話題になってたけど、これは目立つパイオニア的存在の宿命なのかもしれない。もっとたくさんのそれ系の作品が出てくれば変わってくるんだと思う。
エンタメ化か…
ちょっと前に職場でこんなことがあった。ある20代の女の子が事務所にやってきた。彼女は「お金がなくてホームレスをしている。実家に帰る帰省費用を雑誌を販売して稼ぎたい」と申し出た。(ボクの職場は路上生活をしている人へ販売用の雑誌の卸しの現場なのだ)。若い女性が路上で雑誌を売るということがどんなに危険なことなのかということを滔々と説明したが、頑としてやると言い張った。他の社会資源を使えば(最終的にはその帰省費用を受け渡すこともできるとまで説明したが)、どうしてもやりたいとゆずらない。その頑なさがなんだかあやしく思え、その子が事務所を出たあとつけてみた(だけどしんじてる、し~んじてるきみをしんじてる♩)。しばらく歩いたあと、彼女は路地に入った。もちろん追う。そこには、ビデオカメラを前にインタビューに答えている彼女の姿があった(シャレになんないよなーんないよ♫)。……ユーチューバーかよ。どうゆうことかと詰め寄った。この場面もどこかで誰かが撮ってやしないかとちょっと疑心暗鬼になってしまっていて、かなりぎこちない詰め寄りだった気がする。話を聞くと、彼女は地下アイドルで、撮影していたのはマネージャー。ホームレスをしながら雑誌を販売する(いたいけな)姿をネットにアップしてブレイクするのが目的だったらしい。
池袋でホームレスをしていることは事実であり、雑誌を売って稼ぎたいという気持ちに嘘はないんだから何が悪いとは彼女らの主張。こちら理念とは話し合いの中、最後まで噛み合うことはなかった。自分の仕事についても、実際に路上で生活している人についても馬鹿にされている気がして腹が立った。そして「倫理観の崩壊もここまで来てしまったか…」というお大きな脱力に襲われた。
やっていいことと悪いことがあるのがわからないのか!(悲しいかなボクは立場上この言葉を発することができない...)。
だけど、ボクのブログの開き直りと彼女たちの開き直りの何が違うのだろう。
自分の方がわかっている自信(盲目)が誰かを責める躊躇を殺す。罰してもしょうがないんだけど、罰そうとしてしまう。愚かだ。
あれからしばらくの間、新規の相談を受けるとき「もしかしてユーチューバー?」ってまず疑ってしまうような不健全な空気が事務所に蔓延しいていた。(今も少し残っている)。この仕事も長くやっているが、というか個人史においてさえ、誰かをつけまわすなんてことをしたのはこれがはじめてだ(マッキーの歌の世界の話だけだと思っていた)。金輪際であることを願う。
炎上で誰かの言葉を奪うのは論外だが、9人の笑いのために1人が泣くのは仕方ない。そういうのはもう古いと思う。無理だとしても、誰をも傷つけないであろうとする姿勢をエンターテイメントには求めたい。それが娯楽の精度を上げるってことだと思うから。
面白いよ!コラーゲンはいごーまんさん
コラアゲンはいごうまん【売れない芸人の僕がYahooニュースTOPに登場した訳】ビッグイシュー日本版/ホームレス生活/朝日新聞withnews/ワハハ本舗★#Radioで聴いたちょっとイイ話
今年の十一月
去年の十一月。第三土曜日だった。
出所して一年半、やめていた覚醒剤に手を出した。
沢尻エリカがMDMAで逮捕されたというニュースが9モンのハウリングで流れているのを見たのがきっかけだった。ヤフコメはここぞとばかりに人間失格の烙印を押すコメントの嵐。もちろんイライラする。所詮世間の理解はこの程度のものだと自暴自棄になる。だったら使ってやれ…。そんな思考プロセスだった。いや……あのときはそう思っていたが、今にして思えば違うような気もする。もはやどうでもいい話だ。
いつも十一月だ。しばらくやめていても十一月になると再使用してしまう。ボクはきっと十一月を待っている。震えながら目を輝かせて十一月を待っている。
次の日は仕事だった。クスリの影響で集中しすぎて集中できない。かんたんな買い出しに数時間もかかってしまう。仕事にならなかった。職場はボクがアディクトであることを知っている。隠せない。隠してはいけない。隠さないほうがいい。使ってしまったことを打ち明けた。自分のことなのにうまく説明できない。泣けてくる。…泣いてしまった。何年ぶりの涙だったろう。頬をたどる熱さだけは今も思い出せる。体の中の毒が出ていくようだった。デトックスってこういうことかと感動した。その日はゆっくり眠れた。
次の日、仕事をクビを告げられた。職場はアディクションのことを知ってはいたようだが、理解はできていなかったみたいだ。涙は止まった。泣いてる場合じゃない。
親には相談できない。どうせキレるか泣くかで迫ってくるだけだ。
NAには相談できない。あそこに救急対応の機能はない。ってか誰の連絡先も知らない。
主治医には相談できない。診察は来週だ。
保護司にも保護会にも相談できない。どんな流れになるのかわからない。
観察所には...ありえない。バックに裁判所が見える。最悪の場合、再収監になる。(痛い怖いとこには手を出さない方がいい)。
頼るは我が身のみ。自分自身に相談してみた。
その筋に精通した専門家はどこにいる?プライベートは実に不充実だった当時のボクのスマホの連絡先は仕事関係の人だけだった(登録も20弱)。利害関係なく相談できそうな相手はひとりだけ。出所したときに入っていた保護会のソーシャルワーカーだ。彼女はもうその保護会を辞めていて法務省とのしがらみもなくフラットに助言してもらえそうだと思えた。
ボクの目は正しかった。彼女は有能だった。しかるべき相談機関を紹介し、家族、保護司、観察所とのやりとりについて適格なアドバイスをボクに与えた。プライベートで相談できる医者と弁護士を持っていたほうがいいと誰かが言っていたが、ソーシャルワーカーもこれに加えるべきだと思う。
覚せい剤の余韻も消えたころ十一月は終わっていた。
あれから一年。あの頃の自分の書いていたブログを読み返してみる。荒れてんなあ。一年が気持ちを凪らせた。今はおだやいでいる。時間薬が効いたんだろう。確かに恨んだけど、今は純粋に(いい意味でもい悪い意味でも)感謝しかない。感謝だけの場所になっている。
今年の十一月はどうだって?明日は離脱教育。保護会で尿検査。担当の先生にこのブログのこと話してみようと思っている。
そして一年かけて友だち増加。増えることにいちいちプレッシャー感じなくなってきている(多分いい傾向)。